村木さんは、もともと横浜市の行政職員をされていました。
そして、60歳の定年を機に、保育士資格を取得して、保育園に勤め始めたという経歴の持ち主です。
奥さんも、保育園の園長先生をしています。娘さんと息子さんは、それぞれ結婚して、4人のお孫さんにめぐまれました。そんな村木さんは、「家族は、自分にとっても羽を休める補給基地だ」と言います。
仕事は、保育士と障がい児相談支援員の二足のわらじ
村木さんの仕事は、「土と愛子供の家保育所第2」で、パートタイム保育士と、障がい児の相談支援員の二足のわらじを履いておられます。
この園は、50年前から「ともに育つ」ことを実践しており、インクルーシブ保育のはしりとなる保育園です。ここでは、保育士を子どもたちが好きなように呼ぶことになっていて、「むらきさん」と呼ばれたり「むらきジジイ」と(親しみを込めて)呼ばれたりしているそうです。村木さんは、保育補助として、あらゆる年齢帯のクラスと関わります。
そのため、ほとんどの園児にとって親しみのある「言うことをきいてくれるおじいちゃん」として、おんぶやだっこ、おにごっこなど、園児たちと日々真剣に遊んでいるそうです。
村木さんが意識しているのは、園児にとっての逃げ場となり、いつでもやさしく受け入れる存在であることだそうです。
ベビーマッサージから始まったケアプラザでの活動と自分磨き
村木さんは、2019年に大阪でアタッチメント・ベビーマッサージ講座を受講されました。
インストラクター資格を取得後、地元の横浜市泉区と戸塚区、2つのケアプラザでベビーマッサージ教室を始めました。
ご自身が住む戸塚区では、民生児童委員もされています。民生委員は、行政とのパイプ役でもあるので、教室をはじめること自体は、やりやすかったそうです。
教室は、基本的に奥さんと一緒におこない、村木さんのベビーマッサージ教室のあとは、30分くらい「交流タイム」を設け、奥さんが、子育ての悩みや相談にのってくれるそうです。
お母さんから、保育園の入り方や、制度についての相談があったときは、市職員として保育園の受け入れをしていた村木さんが、答える場面もあるそうです。
最近は、「子育てや家族関係の改善とスキンシップにつながる『タッピングタッチ』」も始められたそうです。村木さんの自分を磨き、地域の役に立つための好奇心は、それだけにとどまりません。
「南京たますだれ」「腹話術」「リレーフォーライフ(がん征圧のための寄付やイベント)」・・・さまざまに活動の幅を広げていらっしゃいます。
「100エーカーの森」心地よい居場所を地域にひらく
そんな村木さんは、近い将来こんなことを考えているそうです。
自宅のなかにスペースをつくって、そこでベビーマッサージやタッピング、笑いヨガの各種教室をしたり、玉すだれを披露したり、お蕎麦を打ったり、味噌を作ったり・・・
これまで村木さんが好奇心から身につけたものを提供して、地域の子育てをサポートする基地をつくりたいと考えて、来年、定年を迎える奥さんとともに、準備をすすめているそうです。
子どもが熱があって保育園に行けない時に、ちょっとみてあげたり、お母さんの代わりに、お迎えに行ってあげたり、じいじやばあばが、孫にするようなことを、ひととおりしてあげられる存在になろうということです。
子育て支援の現場から、伝えたいこと
さらに今後は、医療的ケアが必要な子どもにも対応していきたい。そのために、退職した看護師さんの協力を得られる仕組みも模索しているそうです。
障がい児のお子さんの親支援や、通学支援なども課題だと言います。
また、障害児を受け入れている保育園の保育士さんが相談支援専門員になれれば、保育園の時から小学校入学後も継続してフォローできる体制ができる。そうしたことを、この場を借りてぜひ伝えたいという熱い思いをお持ちでした。
廣島からひとこと
村木さんは、この年代の男性としては、とても稀有で、貴重な存在です。
横浜市職員を勤めあげたあとに、保育士資格を取って、保育園を舞台に地域子育て支援の現場にどっぷり入りました。
これは、簡単なことではありません。奥さんが保育園の園長先生をされていることも、良いほうへ働いたのだと思います。
娘さんの家族が、孫といっしょに同居することになったことも、大きな後押しだったと思います。
わたしが「いいなあ!」と思ったのは、村木さんが、まるで子どものように、いろんなことに好奇心をもってチャレンジしている姿です。
保育士として、本気で子どもと遊ぶ。玉すだれを習って披露する。
そのほかにも、腹話術に蕎麦打ち、味噌作り・・・興味をもったら、やってみる。それを、地域の親子と共有して楽しむ。なにより本人が楽しんでやっておられます。だからこそ、村木さんのもとに人が集うのでしょう。
村木さんご夫妻の「100エーカーの森」活動は、自宅の一室を地域に解放し、地域の人みんなの「じいじとばあば」の役を演ずるものだと言います。
最初は、「孫のため」が原動力で、現役子育て世帯である「子ども世帯(孫とその親)」が地域との結びつきを広めました。
それが地域の子育て支援と結びつき、地域の「じいじとばあば構想」に着地しました。
これは、これからの日本のシニアの「人生後半のライフワーク」のモデルケースになると思います。
村木さん、とても素敵な発表を、ありがとうございました。「100エーカーの森」が始動したら、ぜひ取材させてください。
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