第14回育児セラピスト座談会「精神科医さわ先生に訊いてみよう」
今回の座談会は、精神科医さわ先生こと、塩釜口こころクリニック院長の河合 佐和 先生をお招きした対談をお届けします。
さわ先生は、発達障害の診断を受けている2人の娘の子育てをするシングルマザーです。長女は、長年不登校の状態が続いていて、次女は学習障害とADHDがあるものの、元気に学校に通っているそうです。
「精神科医であり、不登校の子どもの親であり、発達障害の子どもの親でもあり、そもそも母親である前にひとりの人間でもある、というありのままの自分を飾らずに発信しています」さわ先生は言います。
「昨年、2024年4月に1冊目の著書である 『子どもが本当に思っていること』 を出させてもらいました。この本は、愛着形成をテーマに、子どもを無条件に愛する大切さを描きました。つづけて8月に2冊目の 『「発達ユニークな子」が思っていること』 を出しました。今日はよろしくお願いします」
さわ先生の著書
廣島が精神科医さわ先生に訊いてみた!
「なぜ、精神科医になったんですか?」
最初にお聞きしたいのは、医大で医師を目指す女性として、なぜ精神科を専攻したのか?ということです。外科や内科、あるいは小児科ではなく、精神科医を志した経緯を教えてください
専攻科を決めるタイミングというのが、24歳で大学を卒業して、研修医を2年やった26歳のころでした。もともとは、外科医を志していました。体育会系だったこともあり、体力が必要な外科が一番性に合っていると思っていたし、外科からも誘われていました。
一方で、ライフプランを描いたとき、結婚もしたい。30歳までに子どもが欲しい、外科医にもなりたい・・・と考えた時、全部を叶えるのは相当な犠牲があると思いました。というのも、元夫が外科医として当時すでに何年もやっていた人で、その仕事ぶりを目の当たりにしていました。そのため、外科医がどれほど日常生活を犠牲にする必要があるのかが見えてしまっていたんです。私にとって、外科医になることは、そこまでの代償を払うものではありませんでした。
そう考えて他の選択肢を探ってみたときに、真っ先に出てきたのが精神科だったんです。学生時代の講義も、一番興味を持てた分野だった。そして、自分の家庭環境や生い立ちを振り返る中でも、興味が大きかった。外科医じゃないなら、精神科医ということに迷いはありませんでした。
さらに、研修医時代に救急外来を担当していた時、精神科の患者さんが多いことに驚きました。救急車の3台に1台は、精神科の患者さんだと言われるくらいの頻度でした。医者によっては、精神科の患者さんが苦手な人もいますが、わたしは、まったく嫌じゃなかった。それどころか、むしろやりがいや面白さを感じていました。その頃から、向いていると思っていたんです。
こうして、家庭や子育てとの両立を考えた上で、さらに興味をもてていた分野であり、向いていると感じられる専攻科ということで、精神科を選びました。
精神科と心療内科、ぶっちゃけ何が違うの?
われわれ患者の立場からすると、精神科と心療内科というのは、区別がないような感じでとらえていますが、何が違うのでしょうか?
医学では、精神科は精神科で、心療内科は内科なので、まったく別の分野になります。心療内科は、あくまでも体の異常を扱います。精神科は、「死にたい」とか「うつっぽい」とかいう心の不調を扱います。そもそも、精神科はすべての大学の医学部に医局がありますが、心療内科の場合、医局が存在しない大学も多いです。
一方で、おっしゃるように区別がない側面はあります。一般的には、精神科と心療内科は、同じ領域だと考える人が多いのが事実だからです。そのため、精神科医が開業するときに、あえて心療内科を標榜することは多いです。メンタルヘルスという観点では、どちらも同じ患者さんを診るわけですが、患者さんにとっては、精神科より心療内科の方がかかりやすいからです。
精神科の治療って、実際どんな感じなの?
精神科の治療というと、『カウンセリング・投薬・認知行動療法』の3つを思い浮かべますが、実際のところどうなのでしょうか?
実際は、カウンセリングは、医師ではなく、臨床心理士や公認心理師がします。精神科医としては、初診は、問診も含めて30分から1時間くらいかけてじっくりやります。日本の医療制度だと、2回目以降の再診については、医師は5分くらいしかかけられないんです。それを基に、心理士さんが、希望があり必要と医師が判断すれば心理士さんのカウンセリングを受けるケースもあります。
医師は、この5分間の診療のなかで、お話を聞いて、言葉かけをする中で、患者さんの経過を観察するわけですが、それが、結果として精神療法や認知行動療法として機能しているという感じです。
日本の医療の点数制度の設計によるところは、大きいと思います。欧米のように、医者がしっかり時間をかけて患者の話しを聞くような医療制度設計にはなっていないということです。
患者として来院する子どもには、どんなケースがあるの?
子どもが患者として来る場合、発達障害に関するケースが多いのでしょうか?親子関係がテーマになるケースも多いと思うのですが、どうなのでしょうか?
発達が要因になっているケースは、確かに多いです。保育園の先生から言われて、納得してくる親御さんもいれば、「発達に心配があると言われた」と怒りながら来院する親御さんもいます。そのほかにも、チックが出ているとか、不登校とか、学校に行こうと思うとおなかが痛くなるとか、外に出られなくなるとかいうケースもあります。
精神科医としては、診断をつけることも大事なのですが、それよりも、この子がどういう特性があって、どういう困りごとがあるのかということを診てあげることが大事だと考えています。その際に、どういう親子関係で、愛着形成がどれくらいしっかりできているのか、親がこの子をどうみているのか、接しているのかということを診ます。さらに、その親も、どういう家庭環境で育ったのかな、ということも重視して、それらを総合的に判断します。その意味では、決めつけを排除して、いろいろな方向からその子を診るのが精神科医の役割だと思っています。
「精神科=薬を処方する」というステレオタイプについて
ひと昔前なのかもしれませんが、精神科の先生というと、薬を大量に処方するというイメージがあった時代が確かにあると思います。いまは、大分変わってきているのでしょうか?
そもそも、日本人は薬好きですからね。子どもが風邪をひくと、抗生剤を出さないと怒る親がいます。医者の立場からすると、抗生剤なんて、飲まないに越したことはないんです。これほど抗生剤を簡単に出す国は、日本くらいだと思います。
精神科も同じで、多剤併用(ポリファーマシー)といって、薬がモリモリになってしまう傾向は確かにあります。その背景には、訴える症状の多い患者さんがたくさんいて、精神科のお医者さんはやさしい人が多いので、ついつい言われるがままに、それらの訴えに対応する薬を出してしまうということがあります。
精神科の場合、これは特に問題で、薬を増やせば治るということではなく、根本原因をしっかりと見定め、そこへのアプローチをしていくことも薬を使うことよりも大切だったりします。
発達障害の子どもの衝動性を抑える薬について
多動とか衝動性を抑える薬がありますが、どうなんでしょうか?
基本的には、全例に一律に薬を飲ませる必要性はないと考えています。しかし、これもケースバイケースです。たとえば、私の娘の場合、学校の先生から「集中できないから飲ませて欲しい」と言われて、それに対して飲ませないことによって、娘の居場所が失われたり、娘がまわりから責められてしまったりして心が傷ついてしまうよりは、本人の意志も考慮しつつ、薬を飲ませる選択をしました。薬を飲まなくても、彼女が彼女らしく居られる環境や人間関係があれば、飲ませる必要はないと思います。
そう言う意味では、多動の子がいても、それを取り巻く環境がサポーティブかどうかで、判断が変わってくると思います。
視聴者からさわ先生に質問
続きまして、今回この座談会の視聴者の方から、いくつか質問を事前にいただいておりますので、ここからは、それに答える形でトークを進めていきます。
3歳の孫がチックではないか?
3歳の孫のことで質問です。お嫁さんから孫が無意識に『う、うっ』と咳払いのように声を出していることが気になると相談されました。8ヶ月ころより保育園に通っています。今でも人見知り、場所見知りがありどちらかもいうと繊細な感じです。保育園ではそのような咳払いのような感じはあまりないとのこと。チックではないかと心配しています。そのうち治るものでしょうか?
あくまでチックの一般論の話としては、そもそもチックは、緊張場面よりも、リラックス場面の方が出やすいものです。この子は場所見知りもあるとのことなので、保育園では緊張状態で出ないけど、おうちに帰ってリラックスできると出るというのは納得できます。
チックは、ほとんどの場合、自然に治ります。ごくごく稀に重症化する子がいるので、心配であればクリニックに行っても良いと思いますが、おそらく「様子をみましょう」と言われるでしょう。
チックに対しては、注目しないことが大事です。「何やってるの?」とか「そんなことやめなさい!」とか言ってしまうと、余計に悪化します。本人はチックを意識していませんし、困ってもいません。なので、チックが出た時「この子、おうちに帰って安心出来ているんだ」くらいに思って、お母さんも、おばあちゃんも見て見ぬふりをして、気にせず注目しないでいてあげると、結構なおっていくものです。日常生活で意識して、子どもに対して、小さな声でゆっくり話すようにしてあげるとよいです。そうしているうちに自然に治っていくものなので、安心してください。
もし続いてしまって、悪化するような場合は、薬でよくなるケースもあるので、何年も長引く場合や、小学校入学などのタイミングで、いちど受診してみても良いと思います。
子どもに発達特性があるのですが、社会人になるころには社会適応できるものなのでしょうか?
私は現在、3男児の父親として子育てをしております。発達障害があるという程ではないと思うのですが、長男が不登校で学校を休学したりしておりました(現在は復学)。小中学生の間は、発達特性があっても寄り添って個性を伸ばすことを大切に教育を進められそうですが、高校生、社会人と成長するにしたがって、一般的な社会適合をさせてあげる必要があるような焦燥感にかられてしまいます。子供には生き生きと自己肯定感をもって楽しく生きてほしいと思っております。まず、基本的な自己肯定感を子供にもってもらうためには、どのような取組や対応が必要でしょうか?最も大切な時期などもお教え願いたいです。また、成長に伴って一般的な社会性の獲得を果たすことは可能でしょうか?
まずは、自己肯定感の育て方の話しをすると、3歳くらいから「子どもに決めさせる」ということをするとよいと思っています。3歳というのは、言葉も自在になり、意思疎通もできるようになるころです。そんな時期から、「きょう何食べる?」とか「服はどれを着る?」といった日常の選択について、子どもが自分で選んで決める。自分が決めたことは、そのとおりに実現する。そういう経験の積み重ねは、子どもにとって無条件の自信につながります。
親から見ると、「こっちの方が明らかに得だ」あるいは「それは、あきらかに損な選択だ」とわかっていることでも、子どもが選んだ道なら、あえてやらせてみる、親の意見を押しつけない、ということが大切です。
このお父さんは、それが出来ているように、質問の内容から感じられるので、心配ないと思います。
一般的な社会性の獲得に関しては、その先の「自立」に関連する話だと思います。自立には、ひとつの定型の形があるわけではなく、いろいろな形があり、その子に合った自立の形が、それぞれにあります。それは、みんなと同じである必要はありません。特に、発達障害や発達特性をもった子どもの場合、その子の特性に合った自立の形があり、それに見合った社会性の獲得があります。
わたしの話しで言えば、中学生の長女は、ASDで不登校で、社会との接点がない状態です。彼女が経済的に自立するのは難しいかもしれないという見立てをもっています。この見立ては、「出来ないだろう」というあきらめではなく、むしろ「そうであっても大丈夫」という覚悟のようなものです。経済的な面で言えば、障害者手帳をとって福祉サービスを利用するかもしれないし、わたしが死んでしまったあとは、最終的には生活保護の制度だってある。それでも、彼女が彼女らしく生きられれば、それは自立出来ていると言ってよいのだと思っています。
これまで、たくさんの特性のある子どもたちを診察してきましたが「この子は絶対大丈夫だ!」と思える子がいます。その子たちには、共通点があります。
それはずばり「素直な子」です。「助けたいな」「力になりたいな」って思わせてくれる子です。知的障害があったり、支援級に入っていたとしても、そういう子は、社会の中で問題なくやっていけるイメージが湧きますし、経過をみると実際そうです。
わたし(廣島)も、大人の人材教育の分野で、素直な人は人間関係をうまく運んで成果を出すのを目の当たりにしてきたので、さわ先生の言っていることが、よくわかります。世の中は、確かに「素直な人」と「素直でない人」がいます。素直な子は、自然とまわりからのサポートを受けられるし、結果に対して好意的に受けとめられやすいのは確かです。
そういう子に育てるにはどうすればよいか?というと、最初の自己肯定感の話しに戻るのだと思います。自己肯定感の高い子は、素直に育つし、他者からの助けを得やすいです。その自己肯定感は、小さいときに、自分の選択を、親が信じてくれて、任されてきたという経験が土台になります。
質問の中に「一般的な社会性の獲得については、どうでしょうか?」という内容がありましたが、これについては、わたくしども日本アタッチメント育児協会では、発達支援・療育のプログラムを提供しています。その中で言っていることは、「発達障害児も健常児も、発達のベクトルは、常に前を向いていて、必ず進むものだということです。社会適合を、「社会に出ても困らないくらいの程度の適合」と定義するなら、発達を前に進めることで社会適合と言えるところまで持っていけることのが多いと伝えていますし、それが実感でもあります。
小4娘の不登校に、夫の失業、生きることに必死です
小学四年の娘がいます。幼稚園時代から「幼稚園に行きたくない」と言っていました。どちらかと言うと敏感なタイプで、慎重派、警戒心も強いタイプです。小学校に入りもっと、登校しぶりも強くなりました。小1は、騙し騙し行くことができましたが、2年生で4月から不登校に。1年間休んで、夫の仕事で引っ越しが決まり、田舎の学校に引っ越し、新しい小学校の先生とも、やりとりしながら、小3も休み休みながらも、1年は行けました。小4になって、夫が無職になり、娘は、9月からまた学校に行けなくなりました。親としては、順調に行っていたので、よかった、転校してよかったとも思っていたのですが、また不登校ということで、すごく落ち込みました。いろいろと重なり、わたし自身のメンタルもやられます。でも、やられていられなくて、とにかく生きることに必死です。夫に、娘、いろんなことが重なり、私は一体どうしたらいいんだろう。と悩みます。でも悩む暇もなく、とにかく必死に生きています。なにか、ご助言いただけたら、幸いです。
まず不登校って、それほど悩む問題ではないということをお伝えしたいです。不登校は、単なる状態のひとつでしかありません。そして、お父さんの失業についても、せっかく無職になって家にいるなら、お子さんとの時間を過ごす機会になるかもしれません。ご事情がわからないので、無責任なことは言えませんが、「家族3人ゆっくり過ごす時間をもらった」と考えることは出来ないでしょうか。
とはいえ、収入が無くなることへの不安もあるでしょうし、お子さんが学校へ行けてないことへの不安もあって、それどころではないから、こうして相談してくださっているのだと思います。
わたしの経験をお話すれば、娘が小1から行きしぶりになり、小2で付き添い登校をしました。そのときは、学校に行けると嬉しいし、行けないと地獄に落とされたような気持ちになって、感情がジェットコースターでした。その当時は、わたしも「不登校はダメなこと」という思い込みがありました。
小3から本格的に不登校になり、中一の今も全く学校に行っていません。その間、時間とともに、わたし自身が不登校の“状態”を受け入れ始めます。すると、だんだんと「不登校が問題だ」とは思わなくなり、学校に行くこと以外の「娘の在り方が見えてくる」ようになります。
そうすると、いっしょに温かいご飯を食べて、温かい布団で寝て、家族3人で笑って過ごせたらそれでいい、と本心から思えると思います。いずれにしても、ひとりで悩まないで、ということは伝えたいです。
不安の正体がわかってしまえば、悩みは消え展望が生まれる
廣島からも、ひとこと加えさせていただくなら、「不安の正体を暴いてやれ!」ということです。このお母さんが、とても悩んでいて、どこにも行き先がないような悲壮感に駆られていることが、文章から伝わってきましたし、何とかそれを展望へと変えてもらいたいと思いました。
さわ先生の言うとおり、不登校は大したことではありません。子どもが学校に行かなくなったとき、親は慌て、不安に駆られ、焦ります。みんなそうです。しかし、時間を経て冷静になってみると、大したことではないと早晩気づきます。
娘さんが不登校で家にいる。夫は失業して家にいる。お母さんは、いつものように家にいる。家族3人、平日に家にいて、自由に過ごせる。そういう時間が与えられている。不登校のおかげ、失業のおかげで与えられた時間です。これは、事実です。そう考えて、不登校のことも、夫の失業のことも棚に上げて、まずは楽しい一日を過ごしてみてください。
一方で、いまの不安に見通しをつけて、具体化してあげてください。今の蓄えのなかで、夫が働かないで、どれくらいのあいだ家計がもつのかを計算してみてください。1年は大丈夫なのか、半年なのか。半年なら、3か月は、この状態で家族3人遊びまくろう。次の3か月のあいだに求職しよう、といった具合です。
収入に関する不安があるのなら、お母さんがパートに出ることが解決策の一つになるかもしれない。不登校で学業が遅れることが不安なのだったら、お母さんが家庭学習をすることかもしれない。同年代の子どもとの関係がないことが不安なら、フリースクールや放課後デイかもしれない。いまお母さんができる具体的な行動を言葉にしてみてください。
モヤモヤと不安にさいなまれてしまったら、書き出してみることは有効です。そうして、不安を言語化して書き出すと、問題が浮き出てきます。問題が浮き出ると、具体的な見通しが立ちます。具体的に見通しを立てると、不安はおのずと消え、展望に変わります。
それでも悩んでしまうなら、ひとりで迷わずに、他者に頼ってください。
まとめ:精神科医の使い方・つきあい方
最終的に、頼るところは頼っていいし、ひとりで悩まないということです。どんな感情も持っていい、どんなにドロドロした感情でも安心して吐き出せる相手として、精神科医がいると思って欲しいです。
最後の質問者のお母さんも、ひとりで悩むくらいなら、メンタルクリニックに来て、不安を吐露してください。精神科医の介入が必要であれば、「よければ通ってください」となるし、必要なさそうなら「あなた大丈夫だよ」と言います。そうやって精神科医を身近に感じて、活用してもらえればうれしいです。
(本日の対談)
塩釜口こころクリニック 医院長
精神科医
河合 佐和(さわ)先生
一般社団法人日本アタッチメント育児協会
理事長 廣島 大三




