第13回育児セラピスト座談会 「学校えらび ~どこに入れるのが正解なの?~」後編

私立の学校えらび、親は何を見ている?

ここで改めて、「学校えらび」というテーマにもどってみたいと思います。ここでの関心事は、おもに小学校なのかと思います。公立であれば、学区の小学校に入れるということで、あまり悩むことはないのかもしれません。しかし、学区外の学校や私立を選択肢に入れようとなると、途端に悩みが深まってくるようです。とくに都内では、よりよい教育をうけさせるために、積極的に私立を選ぶという話をよく聞きます。

この場合、親御さんは、私立小学校に何を求めているのでしょうか?

ひとつは、充実した設備でしょう。PCやタブレットが、ひとりずつ提供されるとか、図書館や体育館、学習室などのファシリティがよいといったこと。

もう一つは、教育の質です。多くの親御さんは、私立の方が教育の質が高いと考えているようです。これについては、必ずしもそうとは言い切れないと、個人的には思っています。たしかに私立は偏差値でラベル付けされているので、偏差値に応じた質を備えているとは言えます。その点は、わかりやすい指標と言えます。しかし、「教育の質」となると、話しは少し違うように思います。

たとえば「探求学習」などにおいては、公立でも素晴らしい取組をしている先生は、たくさんいます。つまり、個々の先生の質によるところが大きいので、私立か公立かというレイヤーではないと思うのです。

お受験して私立に入れたい親の本当の思いとは?

では、こんどは「お受験」という学校えらびについて話していきましょう。小学校受験も中学校受験も、お受験対応の塾に行って対策するのが一般的な流れです。小学校受験に関しては、志望する学校別に塾が存在し、子どもだけでなく、親のお受験対策までカリキュラムになっているようです。中学受験の場合、小学4年生から塾に通い始めて、3年間お受験対策をするのが一般的なようです。

では、お受験して私立に入れる親の“本当の思い”とは、一体何でしょうか?

さきほどの設備やら、教育の質やら言いましたが、本音で言えば、「確実にイイ大学に入れたいから」ということになるのではないでしょうか。大学までエスカレーターで行けるとか、系列大学の指定校推薦がとれるとか・・・。だから、少しでも偏差値の高い学校、あるいは偏差値の高い大学の系列の学校に行かせたいわけです。

お受験は、むしろ子どもの可能性を狭めていないか?

しかし、果たしてそれは、子どもにとって本当に幸せにつながるのでしょうか?

私立に行って、エスカレーターで上がる場合も、指定校推薦をもらう場合も、選べる学部は決まってしまいます。日本の私立の2トップである早稲田と慶応でも同じです。小学校から入れば、エスカレーターでトップ校に入れるかもしれません。しかし、学部は限定されてしまいます。

わが子が、将来どういう分野に興味を持ち、どこに才能を発揮するのかは、わかりません。その段階から、選択肢が限られてしまうのです。早稲田なら、慶応なら、なんでもよいわけではないはずです。もはや、そういう時代ではありません。

今の時代は、有名大学を出たから、良い就職先を得られるわけではありません。実際、企業は、学校名をあまり重視しなくなっています。それよりも、何を専門とし、どんな社会問題に着目して、どのうように専門を学び、何をしてきたかが問われます。つまり、本人が、なぜその学部学科、専攻を選んだか、というところから問われているのです。

「時間」のトレードオフの相手は、勉強でいいの?

こうした現状に反して、親だけが、学部を無視して「とにかく一流大学に入れたい」と願い、しかも、それを「できるだけ早い段階で確定させたい」「早いうちに受験の苦労を済ませておきたい」と考えます。

しかしここには、お受験のために捨てている大切なものがあります。それは「時間」です。時間は、いつでもトレードオフです。勉強に使うのも「時間」、遊びに使うのも「時間」、体験に使うのも「時間」。ひとつを取れば、他は取れません。この時間を、どのトレードオフに使うのか?それが、その子の非認知能力を決めます。

非認知能力が高い子の方が、その後の学力が高い、将来の収入が高い健康度が高い、といったことは、もはやエビデンスベースでわかっていることです。

「この非認知能力を存分に伸ばすためには、どのトレードオフを選べばいいの?」

という問いが立つわけですが、これは、勉強とは限りません。小学生だったら、明らかに遊びや体験の方が、非認知能力の育ちにとって重要です。

それなのに、時間のトレードオフの大部分に、勉強をあてるというのは、どうなのでしょうか?これは、いまの教育が問われている本質的な課題でもあります。これまでの(戦後からの)教育のままでは良くないことは、現場の先生たちもわかり始めています。

課題を探り、仮説を立て、行動する人材が求められている

川上では、すでに変化は起こっています。教育の川上とは、就職先です。企業は、これまでの価値や基準による優等生タイプの人を採らなくなっています。その背景には、優等生は、叱られるとすぐに辞めてしまうとか、言われたことしか出来ないといった過去の経験があったのだと思います。さらに、いまの日本の経済環境では、言われたことが正確にできる人材ではなく、みずから課題を探り、そこに仮説を立て、行動できる人材が求められています。失敗もたくさんするけど、その中から成果を出していく。「これうまくいったんで、もう少し予算つけてもらってもイイっすか?」というような自主性があって生産性が高い人材です。(これ、まさに非認知能力のなせる業です。)

ふたたび、AMさんのお子さんにエール「イイじゃん」

この文脈で言うと、AMさんのお子さんは、まさに可能性のかたまりであるように思えます。アメリカの背景をもって日本に来た。それゆえの苦労や葛藤を味わいながら、日本の教育マイノリティとして学校時代を送って、これから就職するというとき、これまでの経験や体験、葛藤の数々は、すべて能力の源泉となっています。さらに、英語ネイティブのバイリンガルですので、グローバル人材になる可能性が高いわけです。

そう考えると、AMさんの悩みは、わたしからすると、お子さんを日本の教育に適応させようとしていることによって生じているようにも見えるのです。

「漢字が出来ないから、一年生から始めてるけど、まわりの子からズルいと言われる。」

イイじゃないですか。「お母さんは、わかってるから、いっしょにやろう!」というスタンスでもいいし、逆に「あなたは、漢字なんかできなくていいよ!」でもイイと思います。それこそ、PCが普及して以降、われわれだって、どんどん漢字は書けなくなっています。それでも困っていません。

「苦労をさせたくない」は、子の成長の機会を奪っている

お母さんたちは、子どもに苦労させたくないと考えます。そして、先手を打って苦労しない道を提供しようとします。お受験は、まさにそれです。わたしは、これがすごく良くないと思っています。

子どもに苦労をさせないことが、親としての正義なのでしょうか?

答えはNOです。われわれは、生きてくる間に、苦労もすれば、葛藤もすれば、失敗もしてきました。それらは果たして、ない方が良かった経験なのでしょうか?そんなはずはありません。

むしろ、苦労や葛藤の先には、成長があったはずです。失敗の先には、立ち直る力や粘り強さといったレジリエンスがあったはずです。これは、心理学が明らかにしているところです。発達には、葛藤がつきものなのです。レジリエンスの育ちには、失敗が不可欠です。

「子どもに苦労をさせたくない」は、子どもの成長の機会を奪うことにもなりかねません。

「学校えらび」まとめ

ここまで話してきて結局、公立か?私立か?とか、設備がいいとか、教育の質が高いとか、そういうことが決めてなのではないようです。

「学校えらび」の決め手は、子どもの特性をどう捉えるか?

これは、どうやら間違いないことのようです。このことを、スクールカウンセラーのTAKAさんは、逆説的に「学校えらび」を間違ってしまう方向の一つとして「子どもの特性に理解がない」とあげてくれていました。そして、子どもの特性を理解するためには、「親が適切な養育と児童心理を学ぶこと」であると指摘してくれています。わたしも、そのとおり同意です。

けっきょくそこに尽きるわけです。親がある程度の教育リテラシーを持つ必要があるというのが大事なことなのです。

「多動」は、発達心理学ではプラスの特徴といえる

実際、心理学を学んでいると、子どもの特性を特性として理解できるようになります。特性のかなには、親にとって望ましくない特性もあります。たとえば多動です。ADHDの特徴の一つでもあり、親の困りごとの代表格でもあります。

心理学の世界では、多動を「エネルギー量(衝動性)の多さ」と関連付けます。つまり活動量の多さにつながるわけです。これは、単なる特性の一つでしかありません。かく言うわたしは、発達障害レベルの多動です。しかし、わたしは、これを障害とは認識していません。単なる特性、しかもプラスの特性とさえ捉えています。実際に、人生を歩む中で「多動のおかげ」と言う場面を無数に経験しているからです。

また、多動は、大人に近づくにつれてコントロールできるようになります。子どもは、エネルギーのかたまりなので、その有り余る多動性がコントロールできません。しかし、大人になるにつれて、そのエネルギーは脳が消費するようになり、運動に対するエネルギー量が減少するので、コントロール可能になるわけです。そうすると、単なるエネルギッシュな人になるわけです。

別の例で言えば、敏感ちゃんや感覚過敏の子は、小さい時には、育てにくい傾向があります。ちょっとしたことで泣いてしまい、なかなか泣きやみません。これは、心理学では五感の豊かさに紐づけられます。そうした特性は将来、芸術や音楽に向かうかもしれません。

このように子どもの特性を、親が困りごとと思う代わりに、特性として理解してあげられれば、好きや得意に導いたり、苦手や不得手を押しつけずに済むでしょう。また、特性を持っている子は、勉強に向かないことも多いです。しかし、その子の特性を、アドバンテージの能力として観てあげられれば、勉強を押し付けずに済むかもしれません。そもそも、多くの親が望む「勉強に向く特性」を持つ子は、ほんの一握りなのです。

いまは、こうしたいろんな特性を活かした道が、多様な職業として開かれています。それは、昔の比ではありません。それなら、親は、まず子どもの特性を理解して学校を選ぶのが最善の選択を導くカギとなるのではないでしょうか。

不登校を解決するために親ができること

最後に一つ、不登校についてのフリップをつくったので、ご紹介します。


このなかで、「子どもと対話する」という項目がありますが、親ができること、親だからこそできることは、これに尽きます。

もちろん、スクールカウンセラーの力を借りることも必要ですが、いつもよいカウンセラーに出会えるわけではありません。いつでも、どんな時も、子どもの拠り所になってあげられるのは、親だけです。

その意味で、親はカウンセラーのように子どもと接する必要がある場合があります。しかし、難しいことは何もありません。ひたすら、子どもの話を、興味を持って聞いてあげるだけです。それこそがカウンセラーです。

さらに、こうしたやりとりは、子どもの非認知能力を育てます。そうして、目の前の困難を乗り越えた経験は、自己肯定感を高め、レジリエンスを育てます。それがさらなる非認知能力の育ちにつながります。

さいごに

小学校を選ぶという時に、子どもは6歳くらいです。自分の意志で選ぶほどの基準も見聞も持ち得ません。むしろ大きく影響するのは、親の意志でしょう。

中学校も、12歳くらいの子どもだと、学校えらびのための価値基準や自分の意志というよりむしろ、直観的な好き嫌いや、言語化できない雰囲気などによるでしょう。そして、親の意志は、そうした本人の直観よりも、はるかに大きな影響を及ぼします。

よくお受験をした(している)親が言います。

「この子がお受験したい!と言ったんです」

「この子が、この学校に入りたいと言ったんです」

恐らく、本当にお子さんはそう言ったのでしょう。しかし、それはその子の意志と言うよりは、お母さんが喜ぶから、そう言ってくれているところが大きいと思います。子どもは、親の喜ぶ顔が見たいものです。実際には、よくわからなくて言っている場合がほとんどです。

つまり、小中の「学校えらび」においては、親の意志や判断が大半を占めると言うことです。お受験するのか、学区の公立に行くのか、越境するのか、引っ越すのか・・・選択肢を考え出し、そこから一つの決定をするのは、親になります。むしろ、子どもに決められることではありません。

だからこそ、親は子どもの特性を、しっかりと見立て、理解している必要があります。そのためには、発達や教育に関する、ある程度のリテラシーが必要不可欠となります。そんな時代に入ったということでしょう。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

コメントは受け付けていません。

このページの先頭へ