親は、赤ちゃんに触るのが良いの?それとも、触らせるのが良いの?

少し前の「AERA dot.(雑誌AERAのネット版)」に、こんなタイトルの記事が掲載されていました。

「専門家に聞いた 赤ちゃんは「触るより触らせる」が大事な理由」

これは、お母さんが読んだら勘違いしちゃうかも

この記事は、赤ちゃんつまり0歳児の発達や育ちにおいて、もっとも重要なものを無視して論旨が展開されてしまっています。その結果、「触る」に関して、お母さんたちに、誤った理解を植え付けてしまう危険性を感じたので、本コラムで、この記事の背景をきちんと紹介しようと思いました。

この記事は、恐らく、音声インタビューを記者がまとめて、記事化したものだと思います。もしかしたら、子育ての経験のない記者によるものかもしれません。私にとっては、そんな憶測を巡らせないと理解できないような記事だったのです。

百歩譲って、そうであったとしても、この記事を真に受けたお母さんたちに与える誤解やミスリードの罪は、決して軽くはありません。

脳発達を偏重した早期教育の危険な側面がそこにある

さて、どのような記事であったか抜粋いたします。
(以下、「AERA with Baby」記事より抜粋)

「専門家に聞いた 赤ちゃんは「触るより触らせる」が大事な理由」 赤ちゃんのふんわりした頬。小さな手や足もかわいくて、ずっと触っていたくなります。でも、「触りすぎ」には注意が必要。赤ちゃんの発達を妨げることにつながります。「触るより触らせる」が重要です。

「今の育児の中で、ないがしろにされているのが『触る』という感覚です」

日本赤ちゃん学会理事長で、同志社大学赤ちゃん学研究センターの小西行郎先生はそう言います。

(中略)

さらに小西先生は、「触る」と「触られる」ことは全く違うと強調します。「触る」は赤ちゃん自身の能動的な動きで、とても重要。赤ちゃんが自分の体を触って認知しようとしているとき、むやみに触ることは控えたほうがいいと言います。

小西先生は、

「赤ちゃんがかわいくて思わず触ってしまう。そんな親子の自然な触れ合いはもちろんいいことです」

としたうえで、こう言います。

「ベビーマッサージや赤ちゃん体操など、意識的なタッチは赤ちゃんの自発的な行動とは対極にあります。脳の発達には赤ちゃんのやることを邪魔しないのが重要で、赤ちゃんからの働きかけを待つことを心がけてほしいと思います」

お母さんは、赤ちゃんに触ることを控えた方がいいの?

さて、お読みになられていかがでしょうか?こんな風に感じられた方も少なくないのではないでしょうか?

「赤ちゃんに、親の方から触るのは良くないの?」

「赤ちゃんから能動的に触って来るのを待つのが良いの?」

「親は赤ちゃんに触ることを控えて、赤ちゃんの方から触ってくるのを待てばいいんだ!」

これは、赤ちゃんつまり0歳児であることを考えた上で、アタッチメント的立場から言わせていただくと、極めて大事な赤ちゃんの発達のファーストステップを飛び越えて、いきなり「脳の発達」にフォーカスした論旨を掲げているのです。私にはこれは、高度経済成長期の早期教育や英才教育において、かつて起こった過ちを思い起こさせます。

安心の感覚 → 冒険 → 発見 = 知能の発達

つまり、それは何かというと・・・

赤ちゃんが、「触る」という自発的な行動の土台には、まず、「触られる」という受動的な愛着体験に満足して、安心の感覚を抱くことが出来ていることが前提となる、という本質的な事実です。

記事中で言っている通り、赤ちゃんにとって、「触られる」というのは、受動的体験です。この体験は、赤ちゃんが不安や危険を感じた時に「安心」をもたらしてくれる体験となります。寂しい時に、お母さんに抱っこしてもらう、お腹が空いたらおっぱいをもらう。0歳児や1歳児の赤ちゃんにとって、この世の中は、不安や危険でいっぱいなのです。だから、お母さんから「触られる」ことによって、安心の感覚を得るのです。これをアタッチメントと言います。アタッチメントは、本来「危機回避行動」であり、「触られる」というのは、その最も有効な手段の一つなのです。ベビーマッサージは、赤ちゃんの不安を安心の感覚で満たしてあげる営みです。この「安心の感覚」に満足できて、はじめて赤ちゃんは能動性を発揮して、外の世界へアプローチします。しかし、外の世界に出てみると、やっぱり不安な気持ちになります。そうしたら、またお母さんのもとに戻って、触ってもらうのです。そして、安心を得ると、また外に出るのです。この繰り返しによって、赤ちゃんは出来ることを増やしてゆき、行動の範囲を拡げ、より高度な運動、高度な思考を手に入れてゆくのです。これを心理学者ジャン・ピアジェは、「シェマの同化と調節」と呼び、「知能の発達のメカニズム」の説明モデルとしたわけですし、脳科学で言う脳発達も、まさにこのことを意味しているはずです。

ジャン・ピアジェ (1896-1980)

つまり、運動発達や脳発達に重要な「自発的な行動」としての「触る」は、親による意識的なタッチである「触られる」という経験なしには、成立しないのです。これは、心理学においても、小児精神医学においても、あるいは脳科学においても、同じ前提であり、誰もが了解している本質です。

安心と冒険は一対、それは受動と能動(自発)の関係と同じ

では、「触られる」体験に、ひとたび満足してしまえば、次は「自発的に触る」段階に移行するのでしょうか?「触る」段階に達した子どもは、「触られる」体験を必要としないのでしょうか?

答えはNOです。「触られる」体験に満足して、自発性を出現させた子どもも、自発的な冒険の中で、不安を経験します。これは、(その子の発達段階に応じた)不安や危険を伴うからこそ、発見があり、学びがあるわけなので、不安の伴わない冒険は冒険とは言わず、自発的行動とも言えないわけです。そうして、経験した不安を、親に「触られる」という受動的体験で癒してもらい、安心の感覚を充電して、また冒険に出るわけです。

つまり、「触られる」という受動的体験と「触る」という自発的行動は、一対のものであり、どちらも子どもにとって欠くことの出来ない「成育環境」なのです。しかしながら、年齢と経験を経ることにより、「触る」は徐々に減ってゆき、実際の接触の機会を減じ、やがて子どもは、概念やイメージによって、親による安心の感覚を想起出来るようになります。それを「自律」というわけです。

歴史は繰り返される・・・

こうした背景を知らないお母さんが、AERAの記事を読んで、「子どもに触っちゃいけないんだ」なんて思ってしまっては、まさに悲劇です。この記事を読んで、私は1950年代や1970年代を思い起こしました。当時、実際に権威ある学者や専門家が、「赤ちゃんを抱っこしすぎると抱き癖が付く」などと言ったため、赤ちゃんが泣いてもすぐに抱き上げないことがよしとされる時代がありました。もちろん今では、これは全く間違った学説であることが証明されています。 今かつて、ブームとなった早期教育が、また再燃しています。そうした文脈の中では、偏った育児情報が、まことしやかに出回り、あたかも真実であるかのように振る舞います。

専門家の言うことが正しいとは限らない!

そもそも親が赤ちゃんに「触りたい」と思うのは、とても自然なことであり、赤ちゃんは、触られて安心するわけです。それが否定される理由など、あり得ません。つまり、親は、赤ちゃんに触りたいだけ触れば良いのです。その分、赤ちゃんは安心の感覚を得られるのです。

かたや、記事中で言っている

赤ちゃんが自分の体を触って認知しようとしているとき、むやみに触ることは控えたほうがいい

と言う主張も、やはり本質です。しかし、この段階というのは、触られることに満足している赤ちゃんにしか起こりません。そんな時は、こちらから触るよりも、むしろ赤ちゃんの自発的な意欲を観察する方が良いでしょう。

どちらか一方が大事なのではなく、どちらも大事であり、特に赤ちゃん期には、どちらも繰り返されるべき営みなわけです。どちらか一方を重要視するような情報には、例えそれが権威ある学者の言うことでも、疑問の目を持って対処する必要があります

最後に、今回ご紹介した記事を読んで「あれ?」と違和感を覚えた方は、その感性を大事にして、その感性と葛藤してください。もし「なるほど!」と疑問すら抱かなかった方は、その安易さに危機感を持って、一度は目の前の情報を疑ってみる必要があるかもしれません。

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