「定型脳」と「考える脳」、どっちを選びますか?

高度経済成長で評価された「定型脳」の行く先は?

わたしたち大人が、かつて子どもだった頃、親や先生から求められ、評価されてきたのは、知識の積み重ねとその総量であり、そこから導き出される原因と結果の体系や法則の獲得でした。「学習」や「勉強」は、すでに先人たちによって検証され、実証されてきた結果や法則を、知識として蓄積することであり、その蓄積の量と正確性が「学力」として数値評価されるシステムです。この数値は、やればやった分だけ勉強時間に比例して伸びる性質のものでした。

わたしたちは、数値が高い順に、よい学校に進学し、よい会社に就職し、よい仕事をして出世し、よい給料を稼ぐシステムの中に居ました。「決まったこと」の「蓄積」による高い数値評価は、確かな成功を約束してくれました。受験勉強や偏差値ヒエラルキーの存在は、ある意味その象徴でした。

このシステム下で活躍するのは、言わば「定型脳」とでもいうべき脳機能です。定型脳が重宝されるのは、社会が拡大再生産する条件下です。決められたことを、素早く、正確に、効率的に行うには、高い定型脳が必要とされました。それは、人口が増え、消費も増え、経済は昇りのエスカレーターのごとく黙っていても上がっていった、高度経済成長期と呼ばれる時代のことでした。

人口減・低成長経済、いつもの話しのその先とは?

過去のこうした景色は今の日本の現状と程遠いことは、最早みんなが承知しています。経済成長を支える一番大きな前提である人口が頭を打ち、日本の人口は減少に転じてから、すでに10年以上が経過しています。人口減は、さらにこの先も続くことは、現在の出生数から確定しています。

人口減、低成長(あるいは無成長)の今の時代に必要とされるのは、拡大再生産を得意とする「定型脳」でないことはお分かりと思います。これからは、答えのない問題を、ゼロから見出して、自分独自の解決策を創り出し、それを実行し、結果がでるまで『やり抜く力』が問われます。それができる人材が、社会で求められます。これは、非認知能力と呼ばれ、数値では測ることのできない能力です。この非認知能力が、今の社会、そしてこれからの社会において、もっとも重要になります。教育は、これまでの数値評価を捨てて、高い非認知能力の育ちを指向しなければなりません。

・・・と、ここまでは、わたしが5年以上前からたびたびお話ししている内容であり、「またその話しかよ!」という気分の方も多いかもしれません。それでも、わたしが今ここで、“毎度しているこの話”を、みなさんに繰り返し持ち出してくるのには、然るべき理由があります。

「定型脳」から「考える脳」へ、非認知の次元が変わる

昨年(2025年)からのAIの進歩のスピードや実務への浸透度合いを現実的に評価・解釈すると、世界は、「非認知能力」だけで乗り切れるようなシンプルな状況ではなくなってきていると感じられるのです。

非認知能力は、言わば「思考におけるスキル」です。しかしどうやら、単なるスキルだけで乗り切れる状況ではなくなってきたようです。AIの進歩と浸透によって、あらたに必要となったのは脳機能レベルの価値転換です。それを言語化するなら「考える脳」とでも呼ぶべき脳機能の獲得です。

「考える脳」は、非認知能力を備えています。しかし、それだけではありません。要は、その成り立ちにあります。幼少期から育まれた自己肯定感、自由意志が許容されてきた数多くの経験、多様なエアレープニス的体験(真の体験)、それらすべてが加わった結果、はじめて獲得される非認知能力の進化系とも言えます。

「AIが人間の職を奪う!」という話はもう終わっている

「AIが人間の職を奪う!」という言説に一喜一憂する段階は、すでに終わりました。AIを取り巻く社会の状況は、その先へと進んでいます。これまで人間が、知識を蓄積して、スキルを磨いて、時間と手間をかけて行ってきた仕事を、AIはものの数分でいとも簡単に形にしてしまいます。そこにかかるコストは、人件費に比べれば、わずかな月額利用料です。

これまでITスキルの花形だったプログラミングやコーディング、クリエイティブスキルの花形だったデザインやイラスト、CGあるいは音楽制作は、いまやAIが、実戦で通用するレベルのクオリティで形にしてくれます。営業や企画における主要スキルだったプレゼン資料や統計・分析資料作成、さらにはマーケティング施策立案にいたるまで、AIは、高い出来栄えと精度でおこなってくれます。これらの業務において、人間はAIにコストパフォーマンスで全くかないません。

これは、AIが人間の仕事を奪うという話ではなく、人間の仕事が、より高度化し、抽象化して、概念化していくという話です。つまり、成果物の作成は、人間の仕事ではなくなるのです。人間が行う仕事は、世の中に問うべきコンセプトや価値を提案したり、その実現のための設計図やロードマップを描いたり、言葉やデータに表れない社会的な価値を抽出したりする、といったより根源的で本質的なものに変わっていかざるを得ません。この流れは、すでに2026年から始まっています。

こうした仕事において、新米だとか、経験者だとかは関係ありません。経験の蓄積よりも、「体験」の質と多様性、そこから導かれる「生き様」と「覚悟」が問われる世界です。

「考える脳」を育てる子育ては、本質をすすむ

さて、そんな時代に対応する「子育てとは?」「保育とは?」「教育とは?」

これまで、わたしは「非認知能力」を、これからの教育のメインテーマにしてきました。しかし今、もっと本質的に、もっと抽象的に、もっと緻密に、これを掘っていく必要性を感じ始めています。同時に、ある種の覚悟もしています。

「となりと同じだと安心できる」という時代は、とっくに終わっています。どの子どもも、その本質を真っ向から見つめれば、「同じ」はあり得ません。親も保育者も教育者も、信念をもち、子どもの本質と向き合い、覚悟をもって子育てや教育にあたる時代になったと思います。

同時に、それは人と比べることからの脱却であり、他人からの評価を気にすることからの解放であり、その結果として、子育てを楽しむこと、子育てによって親自身が成長することの始まりであるとも思っています。

わたしが提案する「考える脳」は、子育ての、保育の、教育の「本質」に近づく営みなのではないかと考えられます。100年前も、100年後も、変わらない価値であることは、間違いありません。人口減やAIによって、その本質により早く気付かされたとも、言えるのではないでしょうか。

一般社団法人日本アタッチメント育児協会

理事長 

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