育児セラピスト座談会 vol.7 「夏休みにゲームばっかり、どうしたらいいの?」

自己紹介

今回は、参加者おひとりで、わたしと対談のような感じで始まりました。参加者の土屋美紀さんは、小4・小2の男の子、年長の女の子の3人のお子さんのママで、保育士さんでもあります。日々の子育てで、リアルにゲームやYouTube、スマホとどう付き合えばよいのか試行錯誤されています。

6歳の娘がYouTubeでおぼえた言葉使いが気になります

最初に、保育園の年長の娘さんの話から切り出しました。2人のお兄ちゃんがやっているので、一緒にゲームをしたりしますか?と聞いたところ、簡単なレースのゲームなんかは遣ることもあるものの、あまりよくわからないようで、それほどゲームはしないそうです。しかし、YouTubeについては、ひたすら観ているので、とても気になるそうです。歌を歌っているものや、食べ物を食べる音をひたすら聞くもの、それからお化粧するものなどを観ているのだといいます。

「親御さんとしての困りごとや心配などはありますか?」という私の問いに対する土屋さんの答えは、ある意味意外なものでした。「言葉づかいですね!男の子の言葉を使うのですが、お兄ちゃんたちの使う言葉とは明らかに違うので、YouTubeを観て真似して使っているのだと思います。ときどきビックリするような内容のものを観ていて、あわててこちらが消したこともあります。」

4の息子の「あそこのおうちは、もっとやらせてもらってる」にどう答えればいいの?

ゲームの問題について、もっとも気になっているのは、小4のお兄ちゃんだそうです。知恵もついてくるので、ゲームの時間を制限しようとしても、言い合いになってしまうそうです。さらに、よその家の話を持ち出して「あそこの家は、もっとやらせてもらってる」とか、課金について「あの子のお家は、課金してもらえる」などと言ってくるそうです。このあたりの関わり方は、非常に難しいところです。そして、小4にもなると子どもは、「隣と同じでなければいけない」と思っている親の心理を、じつに巧みに突いてきます。

いまどきのゲームって、いったいどんな感じなのか?

ゲームの時間をどう制限するのかについては、視聴者の方から事前に質問もいただいています。「言っても聞かない」というのは、多くの親御さんに共通の悩みなのだと思います。この話を深める前に、いまどきのゲームって、いったいどういうものなのかを整理しましょう。

まず押さえておきたいのは「ゲームとは、どこまで行ってもプログラムである」ということです。プログラムは、大人が作ったものであり、どんなに壮大な世界観のものでも、想定内の決まった反応です。つまり、いくつかのルールとパターンの組み合わせです。そこは、自然との大きな違いだと思います。自然のなかの反応は、一つ一つすべて違い、どこへ向かうかは誰にもわかりません。どれだけ壮大に、綿密に作られていても、決まった反応でしかないのがゲームです。それに対して現実世界は、自然と同じで、どう動くか、どう反応するのかがわかりません。

もう一つの要素は、先ほどの話にもあった「課金」です。ゲーム業界という大きな産業のなかで、この課金というシステムは、大きな位置を占めます。しかし、それは大人の話であって、マーケティングやマネタイズなどといった経時的な要素が関わってきます。それは、子どもには想像がつかない世界なわけです。しかし、子どもがゲームをしているなかに、この大人の思惑がどっぷり入り込んでいます。それが「〇〇くんは、課金してもらって強いアイテムをたくさん持ってるよ」という形で、入り込んでくるわけです。

さらに、ゲームには、コミュニケーション機能があることも見過ごせない側面です。ゲームを通じて、仲間との出会いがあったり、情報交換があったりします。さらにそれは、リアルの出会いのきっかけにもなっていたりもして、まさにSNSのような側面があります。 グラフィックの綺麗さ、リアルさも、いまのゲームは目を見張るものがあります。われわれ世代が親しんだ昔のファミコンの時代は、カクカクしたキャラクターが、シンプルに移動するようなものでした。子どもながらに、「これはゲームでしょ!」と明らかに区別がつきました。しかし、いまのゲームは、そのリアルさたるや映画かと思うほどで、ゲームと現実世界の境目がなくなってきています。特に、脳の認知機能の発達途上である子どもにとって、これは、見過ごせない問題です。ゲーム脳などといわれるように、子どもの認知発達を歪めてします危険性をもっています。

YouTubeやゲームやスマホって、依存症になったりしないの?

プロゲーマーやEスポーツアスリートなどは、いまやそれで生計を立てている人も出ており、一つの職業にまでなっています。同じことは、YouTubeでも起きています。ユーチューバーは、いまや小学生の「なりたい職業」ナンバーワンになったこともあります。そして同時に、親が子どもになってほしくない職業の上位でもあります。

YouTubeも、ゲーム同様に定義しておきましょう。テレビと違って、観たいときに、観たい番組が見れる。次から次へと、同じようなテイストの番組を見続けられる。番組は、多種多様で、マニアックな内容や、きわめてニッチな分野のものが見られます。わたしは、車いじりが好きなのですが、おじさんが、ひたすら車の整備をしている番組などを観たりします。それも、似たような番組がつぎつぎにレコメンドされるので、つぎつぎに観れてしまいます。 親としては、子どもに観せたくない番組もあるでしょう。また、際限なく観てしまう心配もあります。

親の心配は、ゲームだけでなく、YouTubeもそうだし、SNSもそうだし、それらに対応するデバイスとしてのスマホも心配の種です。

ずーっとそればかりやってしまうのは、脳の発達の面でも問題なのは言うまでもありません。ゲーム依存やスマホ依存などという言葉も生まれて、アルコール依存やギャンブル依存と同列の依存症として語られたりもしています。ゲーム依存については、ICD-11(国際疾病分類第11版)では、ゲーム障害という疾病として扱われています。

ゲームのよいところを、あえて考えてみましょう

ここまでの話ではゲームは心配の種でしたが、ゲームって悪いことばかりなのでしょうか?あえて「ゲームのよいところ」を土屋さんにきいてみました。 

「知育ソフトなんかは、良い面があると思います。マインクラフト(ブロックで構成された無限の世界を生きるゲーム)は、子どもたちが上手にいろいろなものを作って、創造性を高めるのには良いかなと思っています。あとは、ロールプレイングゲームは、読みながら進めていくので、本を読まない子どもたちが、文章を読むことに役立っているのかなとおもっています。ほかには、友だちと遊ぶツールになっているのは、良いところと言えるかなと思います。本音を言えば『外で遊んだらいいのに』と思いますが・・・。それくらいしか思い浮かびません。」

私が考えたのは、ゲームは、もはやリベラルアーツ(基礎教養)化している側面です。ゲームとか、プログラミングとか、それに付随するスキルとしてキーボードタイピング、CGスキルなども入ってきます。

以前、これに少し関連した内容で、ChatGPTを子どもが使うことについて、実業家のひろゆきさんと脳科学者の茂木健一郎さんが、4人の子ども全員が東大に入ったカリスマ教育ママと論争になっていました。 カリスマ教育ママは「12歳までは完全隔離すべき。」と主張します。それに対して、「これから“あたりまえの技術”として広まるChatGPTを使う機会を、あえて子どもだからという理由で奪う意味がわからない。ChatGPTを使い倒した子どもと、隔離された子どもでは、大人になったときに大きな差がついてしまう。」とひろゆきさんと茂木さんは主張します。 私が思ったのは、まさに、さきほどのゲームの話と同じで、ChatGPTがリベラルアーツ(基礎教養)化するということです。だから、子どもがこれらに親しむことに意味がある。でも無分別に開放してイイとは思えません。つまり、どちらの視点も的を射ているのです。

ひとくくりに“子ども”とくくるのではなく、年齢ごとに考えたい

この論争では、子どもをひとくくりに”小学生“として、話しが進んでいました。この部分について、私は大きな違和感を抱きました。子どもの年齢について語られることなく話が進んでいたのです。「何歳を子どもとしているのか?」「ChatGPTを子どもに使わせるというのは、何歳なのか?」それによって話は違います。その意味では、カリスマ教育ママが「12歳までは」と年齢を規定していたのには、一定の納得感があったと思います。

ただし、「なぜ12歳?」の質問には、答えられていませんでした。いっぽうで、ひろゆきさん側の、リベラルアーツとしての重要性も大いに納得感があります。ただし、年齢の想定がなされていませんでした。一般的な考えで、小学校3年生くらいを“子ども”としていたのではないかと思います。 ChatGPTに限らず、ゲームやYouTubeも同じことが言えます。もはやこれらはリベラルアーツ化していることを考えると、隔離することは、子どもにとって機会損失です。逆に、4歳や5歳の子どもにとっては、リベラルアーツは発達課題ではありません。感情交流のある体験が重要なこの時期には、隔離すべきでしょう。こういう時期には電子的な体験や疑似体験よりも、実体験が重要です。そちらの方が、楽しいと感じる脳の作りになっています。それが、もっとも脳の発達を促進します。では何歳くらいからなら、許容できるのか?そうなると、脳機能の発達が子どもから大人になっていく時期、つまり8~9歳が境目だと私は思います。

ゲームとどう付き合っていくのか?

では「ゲームとどう付き合っていくのか?」について考えましょう。ゲームを制限するのか、禁止するのか、ぜんぶOKにするのか?ここで、さきほどの年齢という視点が重要になってきます。

土屋さんのお子さんで言えば、年長さんの娘さんか、小2の次男か、小4の長男かで、それぞれ対応が変わってくるわけです。

明らかに言えるのは、6歳まではゲームもYouTubeもスマホも“無い方が良い”ということです。かといって、身近にある以上、遠ざけることもできない。そこで、“つきあい方”の話が生じます。これは、事前にいただいた質問にもあった問題です。この問題については、お子さんの年齢によって、戦略を変えなければいけません。

6歳までのゲームとの「つきあい方」

まず6歳までのお子さんの場合、一番良いのは触らせないことですが、これは現実的に考えると難しいでしょう。そこで一つの提案があります。『開始の権限を、必ず親が持つこと』です。つまり、子どもがスマホなり、タブレットなり、ゲーム機なりを、自分で操作する状況を作らないことです。

子どもが「YouTube観たい」と言ってきたら、すべて親が操作して、“いっしょに観て楽しんであげる”のです。そうすれば、子どもが自分で開始する状況は生じません。

本当は、YouTubeを子どもが観ていてくれている間に、夕食をつくりたい、洗い物を片付けたい。毎回一緒にはつきあえない。そんなに暇じゃない。そう思うかもしれません。じつは、いっしょに観てあげれば、子どもは番組1つで満足します。ほんの5分程度です。なぜなら、この時期の子どもは、なにか同じものを「いっしょに」見て楽しむということが大好きだからです。これを「共同注視」といい、コミュニケーション力や共感力を育てるカギでもあります。いっしょに「おもしろいね!」「すごいね!」と言い合いながら観た経験の方が、ひとりで1時間YouTubeを観続けるよりも強烈に楽しい経験になるので、たった3分や5分でも満足するわけです。ここで「お母さん、いまから夕飯作るから、きょうはもうおしまいね!」と言えば、子どもが満足しているので、問題なく聞き入れます。これは、スマホを使うときも、ゲームをするときも同じことです。「開始の権限を親が持ち、使うときは、いっしょに楽しむ」これが基本です。

ゲームなら、スイッチを入れて、ゲームを選んで、立ち上げるところまでを親がやります。そのうえで、コントローラーを子どもに渡します。一人用のゲームだったとしても、いっしょに見て、いろんな声かけをしてあげてください。「やったー!たおしたね」「あー。ざんねん」「よーし、がんばれ」同じものを見て、楽しさを共有してください。いっしょにやれるゲームなら、それを本気で楽しむのです。そうすれば、この時期の子どもなら1プレイで満足します。そして、そのうち“一緒にやれるゲーム”を好むようになるはずです。 土屋さんは、この話に思いあたることがあったようです。「そういえば、娘がよく言うんです。『ママYouTubeいっしょにみよ!』って。」

そういうことなんですよね。常にこれをやっていくと、「YouTubeって、ゲームって、スマホって、お母さんといっしょに楽しい時間をすごせるものなんだ」という認識が、子どもの中に芽生え、やがて確信に変わってゆきます。

小学校に入ってからのゲームとの「つきあい方」

こんどは、小学校に入ってくるとまた、戦略はかわります。小学校低学年~中学年くらいまでの時期は、「部分的な制限を入れる」という段階に入ります。この時期になると、自分専用の端末をもったり、自分で端末を操る機会も生じてきます。

そのときに、「自分の部屋に端末を持ち込ませない。やるときは、必ず親がいるリビングかダイニングでやる。端末も充電器もソフトもすべて、そこに集約する」ということを、絶対の約束にするのです。それによって、勝手にひとりで、何をやっているのかわからない状況を作らないようにします。

これを習慣づけてしまえば、中学に入ってからも効力を発揮します。すると子どもは、そうそう長時間没頭したりしません。そしてこの時も、親がチャチャを入れるんです。「なにやってんの?」「それって、どういうものなの?」「へ~、それ流行ってるの?」子どもは、親に興味をもってもらって嬉しいので、ちゃんと答えます。

ゲームなら、声をかけるんです。「どれが、あなたなの?」「がんばれ!」「あー、ダメか―」そうしていると、やはり満足して、すぐに切り上げることも多くなります。「そろそろご飯だよ」と言っても、いつまでたってもダラダラと続けることもしません。

子どもの発達段階に合わせて、戦略的につきあい方を“方向付ける”

このように、親が子どもの発達段階に合わせて、戦略的につきあい方を“方向付ける”ことが、ゲーム・スマホ・YouTubeには必要なのです。その他のおもちゃには、そうこうことはありません。なぜかというと、これらは、子どもにとっては、できれば隔離したいものだからです。とくに6歳までは、正直に言って、よいことは一つもありません。

RPGゲームは「読む練習になる」と思うかもしれませんが、この時期のテーマは、そもそも読み書きではありません。また、画面上の文字を読む体験と、実際の本をめくって読むあるいは読んでもらう体験は、似て非なるモノです。ゲームには対話もなければ、感情交流もない、さらに画面上の世界観は無駄にリアルに見える作り物です。6歳の子どもにとっては、認知の歪みでしかありません。

たとえば、「まねっこ」の時期というのがあります。この時期には、まねっこ遊びをすることによって育まれる脳の認知機能や運動機能の特殊化というのがあります。そうした体験の機会を、ゲームやYouTubeで置き換えてしますのは、すごくもったいないことです。

まとめ

この話になると、どうしても座談会ではなく講義みたいな感じになってしまいましたが、このゲーム・スマホ・YouTubeの6歳までの子どもへの扱いは、本当に深刻であることと、ゲームやスマホやYouTubeさえも、親子の対話にもっていくことによって、子どもによい習慣をあたえることが出来るだけでなく、共同注視による共感力やコミュニケーション力の育みに変えることさえできることをお伝えして、今回の座談会を修了したいと思います。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

コメントは受け付けていません。

このページの先頭へ