育児セラピスト座談会 vol.6 「習いごと」

自己紹介

ファシリテーター

廣島大三:一般社団法人日本アタッチメント育児協会 理事長、育児セラピストの生みの親。2人の娘は、25歳と21歳になり、自身は子育てを卒業。

オブザーバー

桑山美樹:一般社団法人日本アタッチメント育児協会 事務局長、シニア認定講師。アタッチメントベビーマッサージのインストラクションDVDで観た方もいるかもしれません。

参加者紹介

竹安雄一さん:兵庫県から参加の小学校教諭で、いまは教育委員に勤める7歳の娘と6歳の息子のパパ。Men‘s育児セラピストゴレンジャーのレッドとして、ブログを書いてくれています。

佐伯侑大さん:奈良県から参加の小学校教諭で、3歳と0歳9か月の2人の娘のパパ。育児セラピストMen’sゴレンジャーのブルーとして、他のメンバーとともに子育てブログを書いてくれています。

桑山美妃さん:愛知県名古屋市から参加の7歳の娘のママ。訪問看護師をされていて、アタッチメントベビーマッサージ、育児セラピスト資格をお持ちです。

「習いごと」についてどう考えていますか?

第6回育児セラピスト座談会は、「習いごと」です。前回の「お受験」とならんで興味深いテーマです。お勉強系、運動系、アート系などいろいろあるわけですが、そもそも「習いごとについてどう考えていますか?」というところから入りたいと思います。ちょうど、ベビマ教室と英会話教室をやっている育セラの方からいただいた質問を切り口に、みなさんのお話しを聞いていこうと思います。

「なにを習わせたいですか?」「何歳から?」「習いごとは必要と思いますか?」「その理由は?」「早期教育についてどう思いますか?」「親御さんが子どものころ通っていてよかったと思う習いごとは何ですか?」

竹安さんは、「習いごとは、なんでもさせたい」「いつからと言わず、生まれたらすぐにはじめました」と言います。ディズニーの英語にはじまり、水泳、〇〇式幼児教室など、子どもが楽しく出来ているなら、子どもの可能性を広げるために、なんでもやっていくスタンスだそうです。自身も、小さいころから習いごとは、いろいろやって来たそうで、当時はイヤだったけど、いま思えば「よかった!」と思えているそうです。

佐伯さんも、「習いごとはやらせたい。」「早ければ早いほどよい!」と考えています。小さいときの方が、なんでも楽しめるからだと言います。そういう時期に、いろいろやらせてみて、物心がついたときに、何を続けるか選ばせたいそうです。ご自身は、習いごとというと少林寺拳法と学習塾くらいだったそうで、少林寺拳法は、ぜんそくがよくなったり、体が鍛えられたので、やっててよかったと今でも思っています。でも、やっているときは、嫌だったのも確かだそうです。

桑山さんも、ピアノ、水泳、学習塾に通っていたそうですが、当時は本当にイヤだったけど、いまになると「やっててよかった!」と言います。「脳科学的にはピアノさえやらせておけばイイ」と何かで聞いたので、子どもには、3歳からピアノをはじめさせました。また、正しい姿勢を身につけるためにクラシックバレエ、それと英語を習わせたそうです。でも、娘さんはどれも嫌がって、泣くばかりだったので、けっきょく全部やめました。いまは、将棋を習っています。娘さんはけっこう強いので(親としては)続けて欲しいけど、やめたいと言っているので悩んでいるそうです。いま思うと、小さいうちから習慣化するために、続けさせればよかったと思っているそうです。

なんの習いごとがイイのか?その子の向き不向きをみる

まず、「脳科学でピアノをやっていればイイ」という話については、都市伝説ですね。もし本当だったら、ピアノをやった子の多くに有能性が確認できるはずですが、実際そういう相関関係はありません。それでも、ピアノに限らず、手を使って、五感を使って、脳を使って、それらを同時に働かせるアクティビティという意味で、よいのは間違いないところでしょう。バイオリンやスイミング、ダンス、トランポリン、体操など、多くの習いごとが同じことを言っていますが、明らかな相関性はなく、もはや都市伝説だと私は思っています。

小学校の先生でもある竹安さんは、スイミングについては、小学校教育のなかでは限界があると言います。みんなが泳げるようになるような機会を与えることが出来ていない。みんながスイミングに通えるわけではないので、そこは課題だと言います。

わたしは、みんなが泳げるようになる必要はないと思っています。向き不向きがあって、子どもの中に泳ぎたい気持ちが湧かないのなら、無理にやらせる必要はないと思っています。皆さんが共通しておっしゃっていたように、いろんな習いごとも、子どもが楽しんで、意欲をもって取り組めているかどうか、が指標になるのでしょう。

習いごとは、なに一つ続かなかった私は、それを後悔していません

私の話をすると、正直言って習いごとはなに一つ続きませんでした。剣道は、小学校卒業までは続けたので、これだけです。英語は、小学校4年生のときに某大手英会話教室に行って、すぐに逃げ出しています。代わりにいった地元の海外赴任したお母さんがやっていた英語教室は、英語で遊ぶ感じだったので、これも続きました。そんな親なので、2人の娘も同じで、ピアノ、スイミング、公文などどれも1か月持ちませんでした。なので、わたしは、習いごとを辛いと思ったことはありません。なぜなら、その前にやめてしまっているからです。娘も同じだと思います。

これに対して、竹安さんが指摘してくれました。「そうは言っても、理事長は英語を活かしてキャリアを積み、仕事もされているので、けっきょく習いごとは活きているのでは?」

ちなみに、わたしが英語を仕事に用いたのは、習いごとは関係ありません。ゼロではないですが、もっと別の体験や衝動から来たものだと理解しています。

佐伯さんの娘さんも、じつは最初は大変だったと言います。内向的な性格なので、場所馴れに時間がかかったそうです。それでも頑張って続けたら、楽しんでくれるようになったと言います。「やめさせてしまったら、いまの楽しさはなかったわけですよね」と竹安さん。

習いごとの「やめどき」をどうするのか?

「いちどはじめた習いごとを、どこまで続けるのか?」が、また悩みどころだと、佐伯さんは言います。たしかに、習いごとには必ず「やめどき」の問題があります。続ければ続けるほど、親としては続けてほしくなる。やめさせにくいです。ピアノなんかでは、よくこれが起きています。これを経済学では「撤退コスト」と言います。そして、やめるまでに費やした資金と時間と労力を「サンクコスト」と言います。これができなくて、撤退時期を逃してしまって、大損するというのは、ビジネスの世界で日常的に起こっていることです。

それでも、親が子どものころにイヤイヤやっていた習いごとを、「やっててよかった!」と言うのは、まさに人間の本質的な心理です。終わったことは美化する生き物なのです。だからこそ、親は、その習いごとが、この子にとって成功体験や意欲を高めてくれる経験であるのか、劣等感や無力感を与えられる経験であるのかを、見極めることが重要です。もし、後者なら、習いごとをサンクコスト化して、早々に諦めることも大事だと思います。

すると竹安さんが「それって、前回のお受験と全く同じ考え方ですね!」と言ってくれました。まさにその通りですね。お受験も、習いごとも、親にとっては、いろんなバイアスがかかってしまって、子どものことを客観的に見ることが難しいテーマです。

習い始めた将棋を、最近「やめたい」とお子さんがいっているという桑山さんは、(小学校4年生なので)「初段をを取れるまではがんばろう!」と、目標を与えて続けさせているそうです。「ただ嫌だという一時の感情なのか、劣等感までいっているのかの見極めが難しいです」と言います。

これについては、まず「お子さんにちゃんと理由を聞くこと」をしてみて欲しいです。親が聞く耳をもって接すれば、子どももこちらの言うことを聞いてくれます。その理由が、一時のものなのか、劣等感に関わることなのかは、子どもの話から見えてくると思います。

ピアノ教室で、ふざける男の子と真面目な女の子の双子の悩み

この話題とちょうど関係する質問が来ているので、(事務局の)桑山のほうから、ご紹介します。

育児セラピストで、ピアノ教室をやっている方からです。男の子と女の子の双子の年長さんの生徒がいます。女の子はやる気が合って、コツコツ型、男の子の方は、飽きっぽく、女の子にちょっかいを出すような感じです。女の子は、曲をどんどん仕上げてくるのに、男の子が足をひっぱってレッスンが思うように進みません。お父さんとしては、双子を平等に育てたい思いがあり、進度の遅い方に合わせて欲しい考えです。

先生は、なんとか男の子にちゃんとレッスンを受けてもらおうとして、「ちょっかいを出したら、発表会に出さないよ」と、主に男の子の方に言いました。するとお父さんは、「ケンカするなら、両方出さない」と言い出しました。

先生としては、やる気のある女の子を伸ばしてあげたい。お父さんは、できない方に合わせて平等に扱いたい。

「平等って、どうすることが平等なのでしょうか?」

「どうしたら、男の子のこのような行為は治るのでしょうか?」

この問題は、双子であるということ、さらに男の子と女の子であるという点で、悩ましい問題です。年齢的には年長さんです。発達でいうと、男の子の男の子性と女の子の女の子性という特徴がそれぞれ出ている時期です。

(しばしの沈黙)なかなかコメントするのも難しい問題だと思いますので、わたしの方から、ひとつ切り口を提示してみたいと思います。

男の子が乱暴な行動にでるには、必ず理由があります。その子なりの思いがそこにはあるはずです。それをわかってもらいたくて、乱暴な行動にでています。この子が乱暴な性格だからではありません。男の子からの「心の不調のサイン」です。ですから「邪魔をしている子だ」ということをいったん忘れて、声を聞いてあげてほしいです。必ず理由が存在します。その理由を、こんどはお父さんに話して、それでも平等に接することを重視するのかどうかです。さきほど、「やめどき」の話になりました。ここでこの質問をはさんだのは、もしかしたら、この男の子にとっての「やめどき」の可能性があると思ったためです。

ここで、桑山さんから「男の子がやめてしまうと、女の子もいっしょにやめる、ということになってしまうんですかね~?」という問いかけがありました。

文面だと、お父さんはそういう方針のようです。それも含めて、男の子の思いを聞くのは、よい機会になると思います。男の子が劣等感を持ってしまっているなら、男の子だけやめるという選択肢も提示できるでしょう。もしかしたら、女の子の方も、「それならわたしもやめたい」という可能性もあります。まじめにやることと、意欲があることは、別問題ですから。そこは、わからない話ですね。

「きょうだい布置」による兄と年の近い妹の問題

もうひとつ、「兄と年の近い妹」というのは、発達心理学における「きょうだい布置」の分野で注意が必要とされています。このケースは、兄妹ではなく、双子ですが、構造は同じです。

幼少期から小学校高学年くらいまでは、一般的に女子のほうが、体も、運動も、情緒も、発育が早いです。小学校の先生は、実際の傾向としてそれを実感できると思います。1~2年くらいの差だと、兄は妹に、追いつかれ、追い越される経験を、何度となくします。人格形成の時期のこうした経験は、多くの場合「逃避」を生みます。つまり、生存戦略として戦いをあきらめ、別の世界に逃げるのです。やがて、引きこもりとか、モラトリアム(大人になる前の期間)を続けるということにつながってしまうこともあります。

このケースでも、男の子は、ピアノに限らず、いつも女の子にかなわないフラストレーションから、乱暴な行動に出ている可能性は大いにあります。その場合、男の子と女の子を「平等に扱う」というのは、「フィールドを分けてあげる」ことになります。そんな側面をお父さんに話してみるのも、ひとつかもしれません。

「やめたい!」という子どもにも、ちゃんと理由がある

ここで竹安さんからこんな話がでました。「先日受講した(リニューアルした)育児セラピスト1級で、幼少期の教育投資の返報効果が16倍だという話がありましたが、それは、子どもに対する直接投資よりも、けっきょく親への教育によるものが大きいと理解しています。それを思うと、なんだか習いごとを全部やめてしまってもいいのかな?なんていまは、思っています。」と言って、ご自身の年長の息子さんが、体操教室をやめたときの話をしてくれました。

「息子が、体操教室をやめたいと言ってきました。わたしは、育児セラピストの教えもあって、まず、なぜやめたいのか、息子の気持ちをじっくり聞くことにしました。すると、怒られるのがイヤだと言います。ブリッジのやり方が悪いとか、話を聞いてないとかいう場面です。それくらいなら続けてもらおうと思いつつ、さらに聞いていくと、以外にも深刻なことがわかってきました。比べられるのがイヤだ、勝ち負けになるのがイヤだ、それと、習いごとのときはママに会えないのがイヤだ。体操よりも鬼ごっことかサッカーとか、走り回ることがしたい。息子のこの思いを聞けたので、迷いなく体操教室をやめる決断ができました。」

竹安さんが、まずは息子さんの声を真剣に聞いてあげたことがすばらしいです。「そんなことか!」とならずに、最後まで聞けたことです。「息子が一生懸命ここまで言葉にしてくれたので、充分に思いが伝わった。息子は、モノづくりや工作が大好きなので、そういうことをやらせてあげようと思いました。」竹安さんはさらにこう続けます。「自分がやりたいと言って始めた体操だから、といってやめることを許さなかったら、この先なにかを『やりたい』って言わなくなってしまう気がしました。やってみて、合わなかったらやめてもいいんだよ、ということを伝えたかった。」

「やめ癖がついてしまうのではないか?」は、もはや都市伝説の域です

親御さんの中に「やめ癖がつくのではないか?」という思考があると思います。昔「抱き癖がつく」という言葉が信じられていました。これと同じだと私は思っています。習いごとをやめると「やめ癖がつく」というのは、もはや都市伝説に過ぎません。

いま注目の「非認知能力」のなかに、「やり抜くチカラ」というのがあります。この能力をGRITと言ったりもします。これは、習いごとを続けることではないんです。GRITは、もっと日常的なちいさなことを続けてやり抜くことで育つ能力です。積み木を、どこどこまで高く積むとか、絵を描くときに、これでいい!というところまで描ききるとか、そういうことです。大人は、子どもの思いを聞いてあげて、それを褒めてあげる。そうすると、最後までやることの成功体験を積むことができます。そして、次のチャレンジへの意欲が湧きます。そうした小さなことの繰り返しで育つ能力です。

習いごとを続けるということには、終わりがありません。それをやめたからと言って、子どもにとって「やめ癖がつく」などと言うことはありません。さきほど、桑山さんが9歳の娘さんの将棋について、「初段をとるまで続けよう」ともちかけた話がありましたが、これなら目標設定としては機能します。ただし、3歳の子には、この概念はわかりません(せめて9歳です)。

習いごとを無理矢理に続けさせてしまうと、そのうち「続けることは、辛いことなのだ、我慢が必要なのだ」という原体験になってしまいます。小学校くらいになると、意欲の高い子と、低い子が顕著なケースがあります。意欲の高い子は、「何かチャレンジすることは、イイことがいっぱいだ」という原体験を持っています。

それに対し、意欲の低い子というのは、疲れてしまっていて、新しいことにチャレンジする余力がない状態なのです。 こんな側面も考えて、習いごとの「やめ時」というのを捉えてもらうと良いと思います。やめることが重要なのではなく、やめ方です。子どもの思いに耳を傾けたかとか、つづけさせるなら、近くの目標を設定するとか、とにかく丁寧に接することが重要です。

習いごとは、自由な時間や家族の時間とのトレードオフである

わたしは、習いごとに関して、肯定も否定もしません。それは、お受験も同じです。どちらもお金がかかることなので、その資金を賄えるなら、やればいいと思います。そうでないなら、無理にやる必要はないとも思っています。(教育ローンという名の)借金をしてでも、私立の学校に入れる必要はありません。公立だって、充分な選択肢であり得ます。家計を削ってまで、たくさんの習いごとに資金を使う必要もないと思います。

ひとつ、注意したいのは、前回の「私立か公立か」という選択と、「習いごとをするか、しないか」という選択は、本質的に違う問題であるということです。小学校や中学校は、義務教育なので、私立にしろ公立にしろ、どちらかには行くことが前提です。それに対して、習いごとというのは、子どもの自由時間や家族の時間とのトレードオフで成り立ちます。

桑山さんの娘さんが、「金曜日なんだから、思いっきり遊びたい」と言っていたのが、それです。将棋を習うか、遊ぶか、どちらかしか取れない。竹安さんの息子さんが、ママと離れたくないと言ったのも同じです。体操教室か、ママと過ごすか、どちらかしか取れません。

いずれにしても、資金と時間を、どこにどう投資をするか?が重要です。いくつもの習いごとに通わせることは、家族の時間や子どもの自由な遊びの時間とのトレードオフであることを、いつも認識しておきたいです。

小学校教師から言えば、国語も算数も、小学校に入ってからで十分です

ここで、(事務局の)桑山から、もう一人のご質問を紹介します。

「助産師をしながら、年長の息子を育てる母です。年少さんの時から、ピアノ、国語、算数、サッカーを習わせています。すべて体験に行って、息子が「やりたい」といってはじめました。子ども園に外部講師が来てくれて、月謝を払えば、保育園で預けている間に習えて、送り迎えの必要もないため、共働きの親としては、大変助かっています。

今年から、国語と算数を教えてくれていた先生が辞めてしまい、園内の小学校教諭の資格をもつ保育士の先生に変わりました。わたしからみると、指導の質や内容のレベルをみると、つづける魅力を感じません。息子は楽しいと言っています。これを続けるべきでしょうか?それとも別の習いごとに変えるべきでしょうか?みなさんは、何を基準に、習いごとを決めていますか?」

佐伯さんの3歳の娘さんの園でも、まったく同じシステムがあり、園内で習いごとを提供してくれて、まさにこの春から、ピアノを習うところだそうです。

 「この方の悩みは、国語と算数の習いごとですよね。小学校の現場の教員として、ひとつ言いたいのは、これらは、小学校に入ってから始めても、まったく遅くないですよ!と声を大にして言いたいです。そのうえで、気になるのは、息子さんは「楽しい」と言っているところです。そこのところの息子さんの話を、もう少し聞いてみたいですね」と言います。それに続けて「園で習いごとができるこのシステムには、ひとつだけ欠点があると感じています。預けているときにやってくれる便利さと引き換えに、子どもがやっている様子を親が見れないことです。さきほど、竹安さんが、体操教室の様子を見て確かめたというのを聞いて、とてもいいなと思ったので余計にそう思います。この子の“楽しい”が、保育時間の“楽しい”の延長なのか、その習いごとを“楽しい”といっているのかが、わからないので、判断が難しいです。ボクだったら、そのあたりを、もっと子どもに聴いてみたいと思いました。」

余談ですが、このお母さんは、指導の質や内容を指摘されているので、もしかしたら習いごとの見学をした上での話なのかもしれません。いずれにしても、これまでみなさんが示してくれたように、子どもからしっかり話を聴くことが重要なようです。子どもの「楽しい!」は、国語や算数ではなく、サッカーのことを言っているのかもしれません。そこは、丁寧に聞いてあげる必要があると思います。

私が、佐伯さんの話で、もっとも注目したのは、現役の小学校の先生が、「国語や算数は、小学校に入ってから始めれば十分だよ!」と言い切ってくれていることです。これは、親御さんにとっては、安心材料になるのではないでしょうか?

「なにか習いごとをさせなければ」という前提をはずしてみませんか?

親御さんとしては、「習いごとを何かさせなければならない」と思って、その予算を組んでいるのでしょうね。だから、ひとつやめるなら、代わりに何をするか?という発想になる。しかし、トレードオフの問題を考えると、「なにもしない」という選択には、子どもにとってかけがえないほどに貴重だったりもします。

自由に遊ぶ、お母さんと過ごす、家族でいっしょに食事する、いっしょに何かをする・・・習いごとのトレードオフの相手先として、大事なことはたくさんあります。習いごと予算の相手先だって、習いごとである必要はありません。家族旅行で海や山へ行って自然体験をする、キャンプをする、水遊びするなどは、すべて高い教育的価値のあることです。

これについて、小学校教師のお二人に「先生としてどういうご意見をお持ちですか?」と問いかけてみました。

竹安さんは「あと伸び力」というキーワードで話をしてくれました。「小学校の勉強は、教えたらわかります。しかし小学校3~4年生くらいになってくると、そうではない力を伸ばしてくる子がいます。好奇心をもって取り組んだり、工夫して解決したりする能力です。こういう子は、知りだしたら、グワッーと伸びます。こういう子は、それまでに自由に過ごせる時間をたくさん持って育ってきている感じがします。」

この話を聴いて、やはり「先取学習には限界がある」という事実に、われわれは向き合う必要があると思いました。小学校までは、先取学習を続ければ、優等生でいつづけることができます。しかし、勉強が高度になる中学くらいで、先取だけでは逃げきれなくなります。その裏には、勉強疲れの問題もあるでしょう。

これについて、もう一人の小学校教師の佐伯さんは言います。「やはり、塾に行ってない子の方が、授業は楽しそうですよね。逆に。塾に行っている子は、もう知っているので授業は暇そうにしています。これを受けていまの教育は、個別最適化などと言っていますが、正直限界があります。」 佐伯さんのこの“教師の本音”の話は、核心をついた話だと思いますので、この先ワンテーマにしていきたいと思います。

アタッチメント豊かな「よいカタチのお受験・おけいこ」を提供したいというある育児セラピストの思い

最後に、視聴者の方からのお手紙を紹介いたします。都内で、幼児教室をされている育児セラピストの方で、お受験指導もされている方からです。

「都心では、親御さんが受験勉強やおけいこに白熱するあまり、お子さんを追い詰めてしまうケースがよくあります。教育虐待だと思います。お子さんの人格形成に影響する深刻な問題です。親御さんは、お子さんの成長にステータスを求め自己を満足させるのではなく、お子さんの生きる糧となるお勉強やおけいこの応援をすべきだと思っています。難しいのは「子どものため」と思ってやっている親御さんの意識改革です。これも、わたしと親御さんの間に信頼関係がないと成り立ちません。わたしにも、それに値するような生き方を示すことが問われていると思って、取り組んでいます。」

お受験やおけいこというのは、もはや都心では避けてとおれないものになっている現状で、それならアタッチメントを育む「よいカタチのお受験・おけいこ」を提供したい、という思いをもって取り組まれている方なので、ぜひご紹介したいとおもいました。

エンディングと感想

最後に、感想の代わりに桑山さんから「習いごとをやめるときに、先生からは引き止められると思うので、よい言い方や方法などがあったら教えて欲しいです。」と質問がありました。

これは、簡単です。「やめようと思うんですが・・・」のような言い方ではなく、「娘とも相談して、やめることに決めました。これまで、本当にありがとうございました。」と言い切ることです。そうすれば、引き留める余地がないことが先生にも伝わります。理由は、先ほど話していた「金曜日に思う存分遊びたい!という娘の気持ちを尊重して」とかでもよいと思います。

竹安さんは「これも話が尽きないテーマでした。いろいろ考えさせられることもあり、勉強になりました」

佐伯さんは「竹安さんの話も、桑山さんの話も共通して、習いごとが、家族のコミュニケーションを生むきっかけになっていると思いました。何を習うかとかは置いて、それをきっかけに、家族の対話が生まれることは、とても良いことだと思いました。習いごとが、コミュニケーションの一つになるなら、それだけでも意味があると思いました。」

とそれぞれ感想をいただき、今回の座談会「習いごと」のテーマは修了しました。

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