育児セラピスト座談会 vol.5 「お受験 ~する派?しない派?~」

2022年冬の育児セラピスト座談会のテーマは、『お受験』です。今回は、4人の参加者とともに話しました。

参加者の自己紹介

まずは、自己紹介から始めたいと思います。わたしは、司会をつとめます日本アタッチメント育児協会の廣島大三です。

お一人目の参加者は、長崎県の島崎翠さんです。保育士をされている島崎さんは、保護者のお母さんたちが、どういう思いで「お受験」を考え、取り組まれているのかに興味があって参加されました。

二人目は、ほぼレギュラーとなっている佐伯侑大さんです。小学校教員であり、3歳と0歳6か月の2人の娘さんのパパでもあります。育児セラピストMen’sゴレンジャーのブルーとして、他のメンバーとともに子育てブログを書いてくれています。

三人目は、愛知県名古屋市から参加の桑山美妃さん、7歳の娘さんの中学受験を検討されているお母さんです。

四人目は、神奈川県鎌倉市の鈴木周子(あまね)さん、2人のお子さんは成人しているので、受験については一歩引いた立場で参加してくれました。

「お受験」という言葉がもつニュアンスや言外の意味

今回は、取っ掛かりとして、視聴者さんからのある質問から話しをはじめたいと思います。

  『お受験って、なんで「お」がつくんでしょうか?』

佐伯さんは、直感として「お」がつくことによって、小さい子の受験であるとともに、そこに合格したときのステータスのような意味合いを感じることを挙げてくれました。
高校受験や大学受験もステータスはありますが、小学校受験や中学校受験は、一部の限られた子どもが挑戦できるもので、そこに対するステータスのようなものが、「お」に内包されているのではないかと言います。

島崎さんは、「お」には、幼いイメージがあることを指摘してくれました。「おいす」とか「おへや」とかの「お」のイメージです。そこから、小学校とか中学校の受験を連想します。それとともに、頭がいいとか、できる子とか、(家が)お金持ちとか、そういう感じもあると言います。
娘さんの中学受験を検討されている桑山さんの場合、「お受験」という言葉自体には、受験年齢の要素を強く感じているものの、実際にお受験にはお金がかかるという認識も同時に持っていらっしゃいました。

わたしとしては、「お受験」とすることで、小学校受験と中学校受験をテーマにしていることを伝える意図がありました。「受験」というと、高校受験と大学受験を思い浮かべる人が多いと思います。それに「お」をつけると、島崎さんの指摘のとおり、小さい子のニュアンスが付加されます。それで「お受験」としました。この言葉にそれ以上の意図は、持たせていませんでした。

しかし、佐伯さんや島崎さんが指摘する通り、お受験の「お」には、単なる受験年齢だけではなく、頭がいいとか、お金持ちといったステータスのニュアンスが含まれている認識もあります。昔は、このニュアンスは、もっと色濃かったと思います。最近はずいぶん薄れたように思っていましたが、こうした印象は根強いということなのでしょう。

とは言え、いまや「お受験」は、一部の特別な親や子どもの選択肢ではなく、より一般的に開かれた選択肢のひとつになっている、あるいはなりつつあるのも事実です。そういう意味で、お受験の「お」は、だんだん、受験年齢を表現した使い方で定着していくのかもしれません。

もう一つの側面として、高校受験と大学受験の当事者は、子ども本人であるのに対して、小学校受験と中学校受験は、親の思いや方針がより大きく関係するという違いに注目する必要があります。このように「親目線」が大きく関係するという背景を考慮して、「お受験」という言葉を、高校受験と大学受験を指す「受験」と区別して、小学校受験と中学校受験を指す言葉として、ここでは定義したいと思います。

「お受験」をしよう(あるいはやめよう)と思うきっかけは?

「お受験しよう」あるいは、「お受験はしない」、いずれにしても、それを決めるきっかけや要因は、どのようなものなのでしょうか?

これについて桑山さんは、取っ掛かりは、母親であるご自身が、お子さんにすすめたそうです。それに対して、お子さんはイヤがっていたそうです。今の段階では、お子さんのその意志を尊重して、受験はしないことで着地したそうです。
それでも、この先もし子どもがお受験したいと言ってきたときには、それなりの対応や選択肢を出してあげられるだけの準備はしておく方針だそうです。

すでにお子さんが成人している鈴木さんの場合、当時お受験を検討することさえなく、地元の公立の小学校、中学校に行ったそうです。

佐伯さんは、奥さんとお受験について話し合ったそうです。もともと、「やらなくてもいい派」ではあるものの、「条件が合えばお受験をやってみたい」という意見だそうです。
その条件とは、「子ども自身が、お受験の勉強を楽しんでいること」、「子どもの持っている特性や能力が生かせるお受験であること」だそうです

桑山さんは、お友だちの子どもが、私立の女子中学校に入っていて、「私学に行かした方がいいよ!」とすすめられたそうです。レベルが高い学校を将来的に目指すなら、早い方が有利なのではないかという思いもあったそうです。
一方で、お子さんのことを考えると、お勉強よりも、モノを作ったり、絵をかいたりすることが好きな子なので、もしやるなら、佐伯さんの言っていたのと同様に「子どもの特性を活かせるお受験」なのかもしれないと、いまは思うようになったそうです。

なにを期待して「お受験」するのでしょうか?

親や子どもは、なぜお受験にチャレンジするのでしょうか?地元の公立に行くのと比較して、なにが違って、なにを期待しているのでしょうか?そのあたりの本音に迫りたいと思います。

桑山さんは、「私立の方が早め早めに学習を進められる」点がアドバンテージだと言います。英語教育を例にとると、たしかに公立よりも早い段階で始まり、外国人の先生を含め英語を学ぶ環境が恵まれているのは私立でしょう。
しかし、「先取り学習」が実際にアドバンテージになるのかどうかは、よく検討が必要です。これは、教育において、いつも問題となるポイントです。発達の観点からいえば、早いことよりも、順番が合っていることの方が、はるかに重要ですし、能力につながります。

鎌倉にお住いの鈴木さんは、お受験する親御さんは、小学校や中学校で早めに受験しておけば、大学までエスカレータでいけるので、結果的に苦労が少ないから、お受験する人が、まわりには多いと言います。仮に受験で落ちてしまっても、公立に行くだけなので、やっておいて損はないというスタンスの人が多い印象だそうです。

0・1・2歳の小規模認可園の保育士をしている島崎さんは、お受験に関連して、園児たちの習いごとについて思うことがあると言います。「英語を習わせたいお母さんたちから、相談をうけることがあります。保育士の立場から見ていると、あきらかに勉強には向かない子もいます。
また、身体能力の高い子で体操教室に通わせたらいいのにと思うけど、お母さんが興味がないケースもあります。そういうときに、どこまですすめていいのか、あるいは止めていいのか、悩ましいです。」

小学校教諭の佐伯さんは、いろんな情報を耳にするなかで、私学は教育環境が整っている点を挙げてくれました。
「ハード面の環境で言えば、タブレットの導入が早かったとか、ソフト面で言えば、教師の質です。公立の教師であるボクが言うのもなんですが、やはり私立には“イイ先生”が多くそろっています。」

この点について、わたしは少し懐疑的な立場なので、その“イイ先生”とは、どんな教師なのかを、佐伯さんに聞いてみました。「一つの要素で言えば、学歴が高いことです。私学の場合、自校の出身者や、それよりもレベルの高い学校の出身者をそろえられます。
この点に関しては、公立よりも私立に分があります。学歴が高い先生は、知識の量が豊富で、それを伝える能力にも長けている、ということを私学の先生から聞くことは多いです。」

“イイ先生”が、私学に多いって本当?

これは、ある面から見ると“事実”です。ただし、“本質”ではないと、わたしは思います。“イイ先生”であることと、学歴の高さや知識の量は、相関関係にはないと思うのです。

“イイ先生”の条件は、本質的には別のところにあるはずです。義務教育に関して言えば、教えられる知識の量など知れています。また、多ければよいというものでもありません。授業、教室運営、生徒指導、催事、生徒の相談にのる、親との連携・・・どれをとっても知識の量では、どうにもならないことばかりです。

それよりも、これら一つ一つを“考え尽くせる能力”の方が、はるかに重要です。
ちなみに、わたしは、佐伯さんのことを“イイ先生” だと認識しています。それは、大学院まで行っているからではありません。どこの大学の出身なのかも知りません。わかっているのは、佐伯さんが「考え尽くせる先生」であるということです。

そんな佐伯さんが選んだのは、公立小学校の教員です。この価値観から見ると“イイ先生” が多いかどうかは、公立か、私立かとは関係がないのです。偏差値の高い先生は、相対的に(お受験をするような)私立に、圧倒的に多いでしょう。しかし、それは“イイ先生”の本質ではないということです。

公立に“イイ先生”がいるのと同様に、私立にも、考えの及ばない “ヘボい先生”が存在します。わが子がどちらの先生に当たるかは、私立でも公立でも変わらないのです。むしろ、わたしの経験からいえば、学歴の高さを売りにする人ほど、“考え尽くせる能力”も“向上心”も低い傾向にあります。なぜなら、過去の栄光でしかない学歴の高さに頼っているからです。

竹安さんからのご意見とご質問

今回、参加できなかった竹安さんから、事前にメールをいただいていますので、ご紹介します。

「わたしは、お受験“する派”です。アタッチメント溢れるお受験なら、最高かなと思います。“する派”と言いましたが、うちは、最終的には公立に行くと思います。それは、地域との連携や多様性のある環境を重視してのことです。」

学校選びにおいて「環境」を重視するのは、わたしも共感です。さきほど佐伯さんが「私立の環境の良さ」を挙げていたことも同じです。
たしかに私立は、公立に比べて環境がよいと思います。スペックの高いパソコンや、クリエイティブ系の学習に対応してadobeのソフトが入ったMacを完備しているとか、音響のよい音楽堂があるとか、プレゼンのためのホールがあるとか、各種スポーツをする競技場が整っているとか・・・。こうした質の高い環境は、生徒の可能性を広げてくれます。この点については、明らかに私立に分があります。

一方で、竹安さんの言っている“多様性を含んだ環境”というのは、公立の方に分があります。

小中の子どもにとっての「多様性のある環境」の意味とは?

わたしの場合で言うと、受験して入った高校や大学の友だちは、ある意味同じような学力で、同じような経済状況で、同じような背景の持ち主でした。社会に出てから出会った人たちも、同じ雰囲気です。

ところが、小中のころの友だちは、学校で出会ってなければ、一生接点がなかった人も多いのです。
公立の小中学校には、いろんな子が来ます。勉強のできる子、できない子、裕福な家庭の子、そうでない子、兄弟姉妹の多い子、一人っ子、家庭が荒んでいる子、親が働かない家の子・・・。子どものわたしは、そうした個々の事情に気づくこともなく、当たり前のようにいっしょに遊んだり、ケンカしたりしたわけです。大人が持つような偏見は一切なく、友だちをやっていました。

小学生や中学生というアイデンティティ形成する前の時期に、こうしていろんな境遇の友だちがいたことは、わたしを形成する上で宝となっています。経済的に破綻しそうな家庭の子も、ヤクザの子も、DVの親の子も、現実の友だちです。
だから、いろんな家庭環境の子どもがいることは、わたしにとって “当たり前”なのです。そのおかげで、わたしは、どんな人であっても、現実にあり得る存在として実感できます。
そういうことで偏見をもったり、恐怖したり、不安になったりすることは、あまりありません。
この資質は、わたしの人生において、人に対するキャパシティを広げる経験であり、小中を公立に行ったおかげです。

公立の方が、子どもにとって逃げ場が多い

竹安さんの指摘の中に、不登校が24万人に達しているという指摘がありました。「多様性のある環境」は、この「不登校」や「いじめ」の問題に対しても有利だと、わたしは考えています。

公立には、いろんな子がいます。目立つ子、おとなしい子、頭のいい子、悪い子、運動のできる子、できない子・・・学校では、こうしたいろんな子が、それぞれに“おともだち”という名の数人単位のグループを作って生活しています。

なかには、ヒエラルキーのしっかりしたグループもあります。いじめや仲間外れというのは、こうしたタイプのグループにおけるマウンティング合戦によって起こります。スクールカーストなどという言葉が流行ったこともありました。

一方で公立には、おとなしい子やリベラルな子のグループも存在します。個々の結びつきは強くなく、排他性の少ないグループです。いじめや、仲間外れに見舞われた子は、こうしたグループに入りなおす余地があります。
これには、もちろん先生をはじめとする「大人による適切な導き」が必要不可欠です。それさえあれば、可能なのです。その余地が、よりあるのは公立です。

私立の場合、よくも悪くも、同じような家庭、同じような学力、同じような価値観の子どもが集まっています。仲良くしているうちは、居心地よく学校生活を送れます。しかし、一度歯車がズレてしまうと、多様性が少ない分、逃げ込む余地がない傾向があります。

わたしの話をしましょう。わたしは今で言う発達障害でしたので、まともな小学生ではありませんでした。そんなわたしに、アウトローな友だちがいたからこそ、小学校生活が成立したのだと思います。
その多様性には、感謝しています。私立に行っていたら、どうしようもない問題児のレッテルを貼られて終わっていたかもしれません。

竹安さんが公立を指向するのも、お子さんを観て「この子には多様性が必要だ」と思ったからなのだと思います。もちろん、多様性を必要としない子にとって、これは重要なことではありません。わが子に「多様性が必要かどうか」は、公立か私立かを選ぶ上で、重要な指標となります。

けっきょく公立か、私立か?受験するか、しないか?

結局のところ、公立と私立、どちらかがよいとか、アドバンテージがあるとか言えることではありません。

“公立”の場合、いろんな特色を出している学校もありますが、基本的には、学区によって決まりますので、選択の余地はありません。だからこその多様性とも言えます。

“私立”に関して言えば、さまざまな特色や校風、理念をもつ学校があり、偏差値も違います。そのなかから一つを選ぶことが前提となります。さらに、その学校は、誰にとってもよいとは限りません。選択するからには、お子さんに合っているかどうかが重要な要素となります。

参加者からのひとこと

桑山さんは、もしこの先、娘さんがお受験したいと言ってきたときに、ちゃんと答えてあげられるだけの情報を収集しておきたいと言います。
そのために、名進研(塾)がやっている将棋教室に通わせているそうです。塾というのは、生徒が通うだけでなく、親に対してお受験情報を提供する役割もあるそうです。

鈴木さんは、社会に出たら、学校と違っていろんな環境があり、いろんな人がいて、必ずしも恵まれた環境ばかりではない。だからこそ、最終的に子どもが、いろんな環境に適応できるような経験をさせてあげられることが、重要ではないかと指摘してくれました。

島崎さんは、こうして、みなさんの話を聞いてみて、自分が担当している0・1・2歳の保育の重要性をあらためて実感したそうです。

佐伯さんは、「お受験は親が主役になりがちですが、自分たちは、やはり子どもを中心にして取り組みたいと、あらためて思いました。かといって、親が敷くレールの大切さも考えなければいけない。また、“公立の多様性”についてもよく理解しているので、私立か公立か、ますます悩ましいです。」と振り返りました。

「親のお受験」になってはいけない。「子どものお受験」でなければならない

けっきょく答えはない。地域によっても大きな違いがあります。例えば、学区の公立が荒れまくっていたら、現実の選択肢として私立になる場合もあるでしょう。あとは、子どもです。
子どもの気持ちを聞いて、子どもの特性をしっかり観て、それを中心に据えて、お受験を考えることが最も重要です。

最終的な思いは、「子どもの幸せ」である。これは、共通だと思います。それを前提に、親として子どもに投げる球は、たくさん持っておくとよいです。

子どもの持っている世界観や価値観は、ぼんやりとしています。それを、具体化し、言語化するためには、子どもにたくさん質問して、話を聞くことが重要です。
そうして、子どものもっている世界観を理解して、それにあわせて、子どもに選択肢をいくつも示す。最終的には子どもの選択にゆだねる。それができれば、公立だろうが、私立だろうが、お受験しようが、しまいが、どこの学校でも正解です。

一般社団法人日本アタッチメント育児協会 理事長 廣島 大三

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