育児セラピスト座談会 vol.4 「『親ガチャ』 ~なにが「あたり」でなにが「はずれ」なの?~」

第4回の育児セラピスト座談会、テーマは「親ガチャ」です。本題に入る前に、今回の参加者を紹介します。ファシリテーターは、日本アタッチメント育児協会の廣島大三が行います。

参加者の自己紹介

一人目は、石川県から参加の輪田英里さん。ベビーキッズあそび発達インストラクターとして、親子教室や子育てサークルを主宰しています。

二人目は、広島県から参加の尾尻文枝さん。同じくベビーキッズあそび発達インストラクターとして、0歳児の教室を運営したり、コロナ禍では、オンラインで子育て相談などをやっておられます。

三人目は、兵庫県から参加の竹安雄一さん。第一回から毎回参加してくれています。平成28年に育児セラピスト1級を取得し、Men‘s育児セラピストゴレンジャーのレッドとして、リーダー的役割をになってくれています。もともと小学校教諭で、いまは教育委員会で活躍されています。

四人目は、日本アタッチメント育児協会の認定講師であり、事務局長を務めている桑山美樹さん。講座や全国大会でお会いしている方もいると思います。
以上、四名の参加者とファシリテーターでお送りします。

「親ガチャ」ってどういう意味のことばなの?

まずは、この「親ガチャ」という言葉の世間一般における定義を、共有したいと思います。「どちらかというとネガティブなイメージ」と竹安さん。
「“あたり”、“はずれ”があるのが前提となっていて、学生さんが、ツイッターで、もっとイイ家に生まれたかったとかつぶやいているのを聞いた。」と輪田さん。
「“選べない”、という特性が“ガチャ”という言葉に表現されている。」と桑山さん。

『子どもが、どんな親のもとに生まれ、育つかは、ガチャのように運しだい』というのが一般的な受け止められ方のようです。さて、果たしてどうなのでしょうか?もう少し話を掘り下げてみましょう。

何が“あたり”で、何が“はずれ”なの?

親ガチャって、本当に運だけの世界なの?何が“あたり”で、何が“はずれ”なの?
一つ言えるのは、それらを決めるのは、子どもだということです。親でも大人たちでも、世間でもありません。あくまで、子どもにとっての“あたり”、“はずれ”です。
ちなみに、世間一般の記事などでみかける“あたり”は、親の経済力や社会的地位などです。塾や習いごとにいっぱいお金をかけてもらえて、いい学校に行けて、いい会社に就職できる。親のコネを利用できる、というところでしょうか。これが、果たして本当に“あたり”なのでしょうか?

育児セラピストが思う親ガチャ“あたり”って?

こんどは、われわれ育児セラピストが思う親ガチャの“あたり”って、どんなものか考えてみましょう。
「 “あたり”から考えるのは難しいので、“はずれ”から考えてみたらどうでしょう?たとえば、虐待などは、“はずれ”どころか、あたってはいけないことです。たとえ経済力がたくさんあっても、子どもが幸せじゃなかったら、“あたり”じゃないですよね。」と輪田さん。 

たしかに、子どもが幸せだと感じられていれば、それは“あたり”で間違いないです。逆に幸せじゃないと感じていたら、これは“はずれ”ということでしょう。

「子どもの気持ちが、受け止められる親かどうかが大事ではないか。訪問保育をしているあるお医者さんのご家庭の話です。子どもがいつも、窮屈そうにしているのを感じます。小学校二年生で、『自分はなにもできない』と思い込んでいます。傍から見たとき、裕福なおうちだけど、心のつながりが乏しいように感じます。」と尾尻さんは、ご自身が関わっている実例をあげてくれました。

「わたしは、“あたり”の親です!」はありか、なしか

「自分で言うのもなんだけど、『ボクは、“あたり”の親です』。」と言い切る竹安さん。「こうして子どものことを考えて、勉強したり、悩んだり、葛藤したりしている私は、子どもにとって“あたり”だと思いたいです。」と続けます。

本来は、「子どもが決めること」であるという前提ですが、竹安さんのこの視点は、非常に興味深いです。たしかに、親が自分を「“あたり”の親」と言い切るには、それなりの信念や納得感のある思想がなければ言えません。「子どもにとって何が幸せなのか」を、常に真剣に考えていることの現れです。それは、「“あたり”の親」と言ってもよいのではないでしょうか。

しかしそれも、親の押し付けや自己都合になってしまっては、前回のテーマの毒親になってしまいます。そこが、カギになりそうです。

若者は、親ガチャをどう受け止めているのだろうか?

「親ガチャを語る思春期の子どもが、大人になっても、自分の不幸を親のせいにしてしまうのは、違うと思います。子ども時代は、親の影響が大きいけど、大人になれば自分次第ということもたくさんあります。わたし自身が、そのように親のせいにしてしまったところがあったので、そんなことを思いました。」とご自身のことを語ってくれた輪田さん。
これに対し、「輪田さんは、親ガチャ“はずれ”じゃないですね。」と竹安さん。たしかに、大人になった今、自分と親の関係を客観視して、肯定的に語れる輪田さんは、親ガチャ“あたり”の人です。

「いまの若者が親ガチャを語るのは、もしかしたら、それほど深刻な意味はこめていないのかもしれない。ガチャ本来の要素である『何が出るだろう?』と期待する要素があってもよいと思います。」と竹安さんが、親ガチャの別の側面を提示してくれました。

一連の話を受けて、桑山さん。「思春期の子どもが、ほかと比べて、自分の不遇を親のせいにしたいという気持ちになる。そういうときに親ガチャって使い勝手がイイのかな、と思います。それは、子どもにとって“よい逃げ場”になっているのかもしれません。」

「逆に、“子どもガチャ”という親側の言葉も聞いたことがあります。これは、さすがに違うと思います。でも、さきほど竹安さんが言ったように、親が子どもをみるとき、『この子の中からは、どんなガチャでてくるんだろう?』と、何が出てきてもそれを楽しめたら、その子は、親ガチャ“あたり”になるのかなとも思いました。」

大学生の娘にきいてみた、親ガチャ“あたり”の理由とは?

少し、わたしの話をさせてください。大学生の娘に聞きました。
「あなたは親ガチャ“あたり”?それとも“はずれ”?」

すると娘は(予定調和のやさしさ含め)「“あたり”だよ」と言いました。
さらに突っ込みます。「それは、具体的にどういうところ?」。
しばらく考え込んでから娘は答えます。

「自由にさせてくれたことかな。」

塾に行かせてもらうとか、有名私立に通わせてもらうとかいうことよりも、「自由にさせてくれた」というのは、意外と子どもにとって大事なことなのではないかと思います。
だからといって、ただ自由にさせたわけではありません。わたしは、娘にたいして常に、“モノ言う親”でした。子どもの“本気”を試すような質問(子どもは嫌がります)をいつも投げかけました。「本当にそれがしたいことなのか?」「誰かに引きずられてないか?」・・。また、子どもの知らない世界観や情報に関する口出しは、たくさんしました。むしろ、口うるさい親でした。

にもかかわらず、子どもが「自由にさせてくれた」ことを一番に挙げたのは、『娘が本気で出した決断なら、どんなものでも最後は受け入れよう』という親としての覚悟が伝わったのだと思います。

ちなみに、お金の使い方についても同じです。娘にとって私はケチな親です。必要のないコトにもモノにも、お金はかけません。例えばスマホ。まわり子たちが最新のiPhoneをもっていようと、うちの娘は、親のお古しか使ったことがありません。そういう意味では、不自由を感じていたでしょう。しかし、「教育と経験」については、何よりも優先してお金を使ってきました。娘が「自由にさせてくれた」と感じているのは、おそらくこのことです。

「具体的にどんなものだったのですか?」

ここで、輪田さんの手が挙がりました。「理事長がいう教育や経験というのは、具体的にどんなものだったのですか?」
子どもが小さい頃は、「いろんなところに連れていく」というのを教育として行っていました。わたしにとっての教育は、塾にいかせることではありません。子どもが何かをしたいといったときに、それをするのにもっともよい環境に導くことです。

それは、むしろ勉強や学習ではないアクティビティの方が多かったように思います。子どもが「絵が描きたい」といったときに、まず子どもの覚悟を問います。それが本物なら、それをするのに最高の環境はどんなものかを一緒に考えます。そのためには、お金を惜しみません。口うるさくて、ケチな親だけど、「自由にさせてくれた」と子どもが思ったとすれば、こういうところを価値として感じてくれたのだと思います。

「冒頭で、尾尻さんが言っていた『子どものことをみる』というのは、こういうことだったんですね!」と竹安さん。これを受けて尾尻さん。「何かをするときに、本人の自己選択にゆだねることが、教育だと思うんです。わが家では、高学年のころ、子どもが旅程をすべて計画した旅行をしたことがあります。そうすると、子どもの方がこちらを気遣ってくれて、のんびりする時間を入れてくれたりもしました。」

視聴者の保育士さんからの質問

ここで、視聴者のかたからの質問を、桑山さんが紹介してくれました。現在、保育士をしている方からのものです。

「親ガチャという言葉を聞いて、思春期の頃の私そのものだと思いました。母子家庭で育った私が小6のときに、母が再婚しました。中2の時に、新しいお父さんと母の間に、妹が生まれました。幼少期を母子家庭で育った私に比べて、両親がそろっている妹をうらやましいと思いました。『別の家庭に生まれていたら、自分の人生は違っていたのかもしれない』という思いは、長い間心の端っこにあったような気がします。

保育士になって、あるとき、そんな自分の生い立ちを、先輩保育士に何気なく話したことがあります。すると先輩は、涙ぐみながら私に言いました。『先生、つらかったね、よくこれまでがんばってきたね。』それを聴いて私も泣いてしまいました。そして気づきました。自分のなかにも、つらかった幼少期の思いを、誰かにわかってもらいたい、認めてもらいたいという気持ちがあったのだと。

このことをきっかけに、私は『自分の人生は自分次第だ』と思えるようになりました。時間がかかってしまいましたが、気づいてしまえば人生に前向きになれて、毎日が楽しくなりました。親ガチャ“はずれ”と言われたら、親は良い気はしないと思います。でも、私のようにどうにもならない事情で、子どもがそう思ってしまうケースもあると思います。

園の子どもたちが、親ガチャということを考えるようになる前に、何かできることはないのでしょうか?」

ポイントとなるのは、この保育士さんの生い立ちによる心の傷が、ある先輩の言葉で癒された。その時、わかってもらい、認めてもらえた経験によって、はじめて「人生は自分次第なんだ」と思えるようになり、人生前向きになれた、というところだと思います。
いまの子どもたちも、自分がそのように思えたように導いてあげたい。そのために何かできることはないか?

「比べてしまうから、しんどくなる。今の幸せに気づけること大事。人生は運だめしじゃない、ガチャのカプセルは自分で作っていけるものなのだ、ということを伝えたい。」と竹安さん。

「親ガチャという言葉を知らずに参加しましたが、若者がこういうことを言っているのは、幸せだから言えるのかもしれないと思いました。親ガチャという言葉をネタに親子で話をしたらよいと思います。そのやりとりを通して、この保育士さんが感じた“認められ感”と同じものを感じることがあるかもしれません。」という尾尻さん。

「親ガチャと聞いたとき、「完璧な子ども」という絵本を思い出しました。完璧な子どもをお店で買ってきた親が、『この子は完璧な子ではないので返品します』と言いました。するとこんどは、子どもの方がが、『ボクの親も完璧な親に代えてください』といった、という絵本です。親が“あたり”だと思うことを子どもに押し付けても、子どもは幸せになれない。最後には、別の親に代えてくれと子どもに言われてしまう。理事長(廣島)が言っていた『子どもの自由にさせる』というのは、『ありのままを認める』ということだと思います。この目線を大人は持っていることが大事だと思いました。講座で学んだ『アタッチメント』ってそういうことだったんだ!と気づきました。これは、“大人の必須科目” にするべきです!わたしたちができるのは、それを伝えることだと思います。」と輪田さんがまとめてくれました。

いろんな意見がでそろったところで、質問の答えにつなげてみたいと思います。
質問してくれた保育士さんは、園児のなかに、将来大きくなったとき自分の不遇を嘆いて親ガチャ“はずれ”と感じてしまうかもしれない子がいることを懸念しています。何かできることはないのかと思いながらも、やりあぐねています。
そんな時、保育士として、その子の親にできる働きかけはあります。

その子のことを「3秒間ギューッ」としてあげること。

たったそれだけのことで、子どもが満たされる以上に、親の心が癒され、幸せに満たされることに気づきます。お母さんは、この「3秒間ギューッ」のチカラも効力も知りませんし、信じてもいません。だから、教える必要があります。
「お母さん、子どもには幸せになってもらいたいんですよね。」
「子どもの幸せは、思っている以上に簡単なことでかなうんですよ。」
「お金をかけるよりも、いい学校に通わせるよりも、もっと効果的なことがあるんですよ。騙されたと思って一度やってみてください。」
お母さんは、一度やれば、実感します。2度やれば、確信します。3度やれば習慣になります。そのたびに、子どもは、幸せを感じる場面が多くなります。じつは、保育園の時期の子どもにできることは、そのような単純なことの積み重ねです。難しいことはなにもありません。そのことを、根気よく伝えること。それが、もっとも強力な働きかけです。このことを、ひとことで表現すると「アタッチメント」となるわけです。

最大のテーマ「親ガチャを“あたり”にするには?」

ここまで話してきたなかで、「親ガチャを“あたり”にするには?」という今日の座談会の最大のテーマに対する答えが、4人の参加者の方々からの話の中で出たのではないかと思います。まず、親ガチャ“あたり”の定義は、子ども本人が「自分は幸せだ」と感じていることです。そのために親ができることは何?という視点だと思います。

4人のみなさんの話を聞いてきて、そこには「親の戦略」という概念が大事なのではないかと感じています。今日の質問者さんの答えにもつながることですが、保育者は、この「親の戦略」をつくるお手伝いをすることが、大事な役割のひとつなのかもしれません。
その“戦略”は、全員に当てはまる一つの戦略ではありません。子どもと親の関係性の数だけ、その在り方が違う。だからこそ、保育者が導いてあげる必要があるのです。
この戦略という概念を持ち込むと、親ガチャを“あたり”にする方法につながってくるのではないでしょうか。

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