“世界の中のワタシ” を育てる

理事長ブログ2023年の展望-世界の中のワタシ-

“これまでの日本” のままでは、衰退していくという現実

 「これからの日本は・・・」という話は、この10年で本当によく聞かれるようになりました。その多くは、このままでは悲観的な未来が待っているという内容です。

間違いなく言えるのは、日本がすでに人口減少社会に入っていること。戦後から人口が増え続けてきたのが、“これまでの日本”です。高度経済成長とベビーブームのように、人口増加は経済成長と一対です。

逆に人口減少は、経済衰退と一対ということになります。少子高齢化というのは、まさにこの文脈の上に成り立っています。 “Japan as No.1”は、完全に過去の栄光となっているのが事実です。これは、われわれ一般人にも大いに関係する問題です。特に、子育てをしている親にとって、じつはとても深刻な問題です。

 

点数を問うてきた“これまでの教育”は、もはや賞味期限切れ

われわれ親や保育者、先生に最も身近な話で言えば、「教育」でしょう。日本であたりまえと思っていた“これまでの教育”は、成立しません。人口増加という前提がくつがえってしまったのだから、当然のことです。“これまでの教育”は、学校の勉強がまんべんなくできる子どもを、大量に育てるものでした。大学入試もそのようにできていたし、会社の採用試験の基準もそうでした。

「言われたことを間違えずにできる」「真面目に一生懸命働く」「さまざまな業務をオールマイティにこなす」・・・黙っていても経済が成長していた日本においては、拡大再生産が得意なこうしたジェネラリスト人材こそが、社会で求められる人物像でした。

拡大再生産においては、すでに答えのある問題に対して、正解を導き出せることが問われます。つまり、点数化が可能です。だから、教育も点数で評価し、点数を上げることを目標としてきました。

“これからの日本”で活躍できる人物像とは?

人口減少に入った日本においては、話しが逆になります。黙っていたら衰退してしまう人口減少局面で必要とされるのは、ジェネラリストとは真逆の人物像です。消費は拡大しませんので、再生産してもモノ余りとなるだけです。拡大再生産の時代は終わっています。まさに、いまの日本で起きている現実です。

逆に、より価値の高いモノやサービスを創造すること、既存商品を否定して創りかえること、世界で通用する専門性をもつことなどによって、高い付加価値を生み、それによって衰退を回避する必要があります。つまり、答えのない問題にとりくみ、結果を出す能力が問われます。

そうなると必要になるのは、「自分の頭で考えて行動できる」「効率的に、独創的に働く」「一つか二つの特化した専門分野をもつ」・・・といった人材です。すでに大企業ほど、こうした人材の確保を積極的におこなっています。

難しいのは、こうした能力は、点数化できないということです。グローバルに展開する企業はすでに、どうしたら、このような人材を採れるのかを考え、採用方法や試験、面接を工夫し始めています。そして、年齢に関係なく、破格の年収を提示しています。

 

今年(2023年)はじめに、ユニクロが最大40%もの年収アップをおこなったのは、まさにこの流れです。柳井氏は、この改革に際して、「“サラリーマン“という仕事はもうない」と言い切っています。

教育においても、この流れはすでに起こっています。われわれにはお馴染みの「非認知能力」が、近年の教育現場で最大の注目を集めています。この「非認知能力」は、まさに点数化できない能力のことを指します。この能力をいかにして伸ばせるかが、“これからの教育”のメインテーマであることは間違いありません。

親としてどうしていったら良いのか

大きな社会の流れを長々と話しましたが、これを確認して理解したうえでないと、“これから”の話が成立しません。それほどに大きな変化が、日本ですでに始まっているということです。

さて、ようやくここで「親としてどうしていったら良いのか」というテーマに入ろうと思います。われわれ育児セラピストは、いつも「アタッチメント」を軸に子育てを考えます。それは、いつの時代も、どんな世の中であっても変わりません。しかし、その軸から生じる子育てや保育、教育における方針や方策は変わってきます。“変わる”というよりも、“真逆になる”といった方が、現実を表現しているでしょう。

最初に言えることは、“これまでのあたりまえ”を疑ってみることです。「となりと同じだと安心だ」「ほかの子よりも早く、より高い点数を」「どの科目も満遍なく出来るようになる」「有名大学に入れば、一流企業に入れて、幸せは約束される」・・・すべて“これまでの日本”で正解とされた「点数化できる価値観」です。

これらをいったん否定してみてください。すると、子育て、保育、教育のあるべき姿が、今までと違って見えてくるはずです。まずは、そこから始めないといけません。このプロセスなくして、いきなり次世代の教育だとか、非認知能力だとか、STEM教育だとか、アート教育だとか言ってみても、肝心な価値観が変わっていなければ、なんの意味もありません。まずは、子どもに教育機会をあたえることができる大人としてのわれわれが、「点数化の呪縛」と「みんなと同じがよいという価値観」から抜けだす必要があります。

‟これからの日本“で、子育て・保育・教育はどうあればいいのか?

世界を見渡せば、人口が少なくても先進国として活躍できているお手本があります。スウェーデンをはじめとする北欧諸国やドイツです。それらの国に共通して言えることは、国民の専門性と有能性が、教育によって非常に高く底上げされていることです。それによって、少ない人口でも自国民の生産性が高く保たれています。このコンセプトは、人口減少に入った日本にも、そのまま当てはまります。専門性と有能性は、いまや世界中が欲しがる資質だからです。

そこで、わたしが今年2023年に掲げたコンセプトが・・

“世界の中のワタシ”

です。

子どもたちの中に、このアイデンティティを育てたいのです。残念ながらわれわれ日本人の多くは、日本でモノを考え、日本で働き、日本で生活することを“あたりまえ”として生きています。海外旅行や海外出張は、非日常に存在します。

それでも、ごく一部の人は、自分のなかに“世界の中のワタシ”を持っています。自分が活躍するフィールドは、世界のどこにでもある。日本である必要はどこにもない。その代表例として坂本龍一さんの言葉をご紹介します。

「何人でもないコスモポリタンでありたいというのは10代のころから思っていたことです。地球のどこでも暮らしていける人間になりたいとずっと思っていました。」

このマインドこそが、“世界の中のワタシ”です。

“これからの日本人”にとって、必須のアイデンティティであると同時に、日本人には、もっとも難しい種類の価値観でもあります。それでも教育は、これを実現し得ると思っています。

これからの日本で、教育は何をすべきなのか?

非認知能力は、有能性と専門性の源泉です。数値化できない性格特徴であり、ものごとの捉え方であり、行動様式であり、信念です。“世界の中のワタシ”であるための土台です。われわれ大人の価値観を、数字評価から経験評価に変えさえすれば、豊かな非認知能力を教育の中で育むことは、充分に可能です。

日本人にとっては、これだけでは充分ではありません。日本を出るためには、コミュニケーション手段としての英語が必須です。英語は世界言語です。世界中どこの国に行っても、英語が話せれば、何とかなります。それぞれ言語の違うヨーロッパの国々を西から東までバックパックで旅をしたわたしの経験からも実感します。ただし、これまでの科目としての英語ではありません。点数化に意味がないのは、ご承知のとおりです。必要なのは、通じてなんぼの英語です。結局ここでも、われわれ大人が、数字評価から経験評価に変わることが必須となりそうです。

“世界の中のワタシ”になるために必要な「原体験」とは?

もっとも重要なのは、子どものころから、世界の広さを実感できる体験です。日本では、大半の人が日本人の顔をして、日本語を話し、日本文化を理解しています。しかし、一歩海外へ出れば、アジア人だけでなく、黒人もいれば、白人もいる。肌の色の濃さも違えば、文化背景も違う。使う言語も違います。

われわれだって、知識としては知っています。体験としてもある程度知っています。しかし、それは原体験ではありません。原体験は、幼少期に作られるものであり、人格の礎(いしずえ)になる体験です。わかりやすく言うと、それが“あたりまえ”と思える体験です。

これは、たとえ幼少期だったとしても、海外旅行では得られません。「海外体験」が必要です。簡単に言うと、みずからが見て感じる体験です。海外旅行は、予定調和であり、見せられるもの・・・それが違いです。

だから、あえて「海外体験」と表現しました。これは、海外において、親御さんの保護がある上で、自由な冒険が日常の中に存在して、そこで起こるある種の体験を得るということです。それは、海外旅行ではなく、むしろ海外生活に近い過ごし方と言えます。

子育ての価値観が真逆に振れるとき、アタッチメントが軸になる

“これからの日本”では、教育において“世界の中のワタシ”を育てることは必須です。これは間違いない現実です。そのために、われわれ親や教育者、指導者は、これまでとは真逆の価値観を受け入れ、それを前提としなければなりません。

一方で、何の軸も持たずに価値観を真逆に振ると、振り回されてしまいます。インターネットでどんな情報も手に入れられる現代において、価値観を真逆に振ることはとても危険な行為です。だからこそ、軸を定める必要があります。

わたしは、アタッチメントこそが、その軸だと考えています。なぜなら、これまで話した「非認知能力」も「コミュニケーション手段としての英語」も、「海外体験による原体験」も、すべてアタッチメントが真ん中にあるからです。

子育て・保育・教育における具体的な方針と方策については、「アタッチメントペアレンティング講座」でくわしくお伝えしていますので、もしご興味のある方は受講を検討してみてください。

「海外体験」が、“世界の中のワタシ”を育てるカギとなる

わたしは「海外体験」が、“世界の中のワタシ”を育てるカギだと考えています。「アタッチメントペアレンティング講座」の中でもそうお伝えしています。わたしが、実際に子育ての中で、娘たちに実践してきた「海外体験」もご紹介しています。しかし、これを実際にどのように教育に落としこめるのかについては、答えが出せないでおりました。

そして辿りついたのは、けっきょく生の体験を実際にすることしかないという事実です。どう考えても、疑似体験は原体験になり得ないのです。生の体験をする場所の候補は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどの英語圏です。

具体的なお話ができるまでまとまっておりませんので、今回の話はここまでですが、実際に「生の体験」をしてもらえるようなことを考えています。

教育において、どこに資金を投資するのか?

教育にはお金がかかります。しかし、資金が無限にあるわけではありません。そうすると『どこにお金を使うか?』が重要なテーマとなります。わたしは、「体験」に使うことこそが、“これからの日本”で活躍するチカラを養えると考えています。

「どこに教育投資をすると、投資効果が高いか」を研究する分野である「教育経済学」は、これにエビデンスを示してくれています。実際、この方針で二人の娘の子育てをした実例においても確信していることです。

教育投資は、資金が多い方が有利なのは事実です。しかし、一部の人にしか出来ないような莫大な資金が必要なわけでもありません。塾や習いごとに費やすくらいの資金があれば必要十分です。実際、わが家が投じた教育投資の総額は、一般的な家庭よりもむしろ少ない金額です。要するに「どこに資金を使うか」が問題なのです。その投資先は、「成績を上げること」ではなく、子どもの頃の「体験」であるということです。

「体験」は、間違いなく有能性を育みます。それは、専門性につながります。このことは、遺伝や生まれに関係なく、どの子どもにも当てはまります。ただし、そこに親の欲目やエゴを入れた途端に、有能性の育ちは失われてしまうのも事実です。

「子どもを有能に育てる」という子育て方針を実践する

何度も言いますが、点数評価による“成績のよい人”が活躍する時代は、すでに終わっています。多くの親は、そのことにうすうす気づいています。それでも、まわりの動向をうかがって、これまでの価値観で子育てをしています。 “まわりと同じ”が安心できるからでしょう。

小学校に始まって10年以上英語を学んでも、ほとんど英語が使えない事実を知っていても、やはり点数を追います。点数化できない「非認知能力」は、実感できないため、それを伸ばすために教育投資することはありません。こうした姿勢は、みんなと同じ安心感はありますが、大事な子どもの将来をリスクに晒していると、わたしは思います。

間違いなく言えるのは、“これからの日本”で活躍するのは、“有能な人”であるという事実です。“有能な人”は非認知能力が高く、何らかの専門性を究めています。そして、そのフィールドは世界です。なぜなら、この人たちは、「世界」という環境を、自分の中にあたりまえに持っているからです。

そんな“世界の中のワタシ”を育てませんか。親として、保育者として、教育者として、子育て支援者として・・・立場は関係ありません。いまはまだ、多くの親に共感されることではないかもしれません。それでも、「一足先にやってみよう!」と思われる方とともに、この構想を形にしていければと思っています。

一般社団法人日本アタッチメント育児協会

理事長 

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