「しつけ」という名の「暴力」、「教育」という名の「自己都合」

「しつけ」という名の「暴力」、「教育」という名の「自己都合」

福岡県北九州市の保育施設で、カナダ人の男性講師が園児をたたくなどの暴行を加え、その様子を撮影した動画が投稿されたのを機に、市が調査に入っていた、という報道が世間をにぎわせています。

「しつけ」ねえ~・・・

本人は「しつけ」のつもりだったと言っているそうです。それは、言い訳ではなく、本当に本人はそう思っていたのかもしれません。

私も、投稿された動画を観ました。2歳児の男の子に対して暴行行為が行われる様子が撮影されていました。確かに、「しつけのために行っていた」と言われれば、そう言えなくもないものでした。

3歳までは、『しつけ』をしてもマイナスしかない

ところで私は、「3歳までは、『しつけ』をしてもマイナスしかない」という立場をとっています。それは、発達段階において、因果関係の原理を理解できるのは、3歳以降だからです。だから、厳しい言葉や、お尻をたたくなどの行為によって、社会のルールを教えるという行為を、3歳未満の子どもにしても、「恐怖」を与えるだけで、ルールは身につきません。それは、「子どもの行為」と「その行為が与える影響」についての因果関係が分からないからです。「しつけ」をされて、子どもの中に残るのは「トラウマ(心的外傷)」だけです。

「暴力」でトラウマを与えただけだ

今回の外国人講師の行為について考えてみましょう。園児に外傷を負わせるようなものではなかったでしょう。しかし「トラウマ=心的外傷」を負わせるには、十分な行為です。これについては、断言します。たとえそれが「しつけ」のつもりであったとしても、「暴力」以外のなにものでもありません。

行き過ぎた幼児教育の成れの果て

さらに、施設運営者側は、この暴力行為を認識してはいなかったと言います。正確には、「暴力行為として認識していなかった」のでしょう。つまり、この外国人講師の行為を「熱心な指導をしている」と認識していたのでしょう。動画が明るみに出て、はじめて「ここまでのことが行われていたとは、知りませんでした。」ということでしょう。インターナショナルスクールを標榜し、教育に力を入れているということですが、幼児期の子どもを預かる以上、そこは保育の視点が欠かせません。「教育のため」という大義のもとに、乳児期の発達課題や心の発達を無視した教育を施すのは、子どもにとって「傷」にしかなりません。「行き過ぎた幼児教育の成れの果て」ではないでしょうか。

無知だけど、英語が話せる外国人・・・それって先生なの?

この件に関して、意外だったのは、「(当該の)先生に早く戻ってきてほしい」「ここがなくなると困る」「先生は、しつけをしてくれていただけ」という保護者の方々の肯定的な声です。

おそらく、この外国人講師は、人柄がよく、お母さんウケも良かったのだと思います。だから、信頼も厚かったのでしょう。しかし同時に、この人は、保育者でも教育者でもないことも事実です。「英語を母国語にしている無知な外国人」つまり、保育や教育については、ド素人だった。子どもの発達段階に応じた対応など知らず、大雑把に2歳児も6歳児も同じ「子ども」として扱っていたのだと推測します。つまり、単なる無知から、2歳児に「しつけ」と称して「暴力」をふるってしまったのでしょう。なんの悪気もなく。

保育士が同じことをしたら、許されませんよね

もし同じことが、インターナショナルスクールの外国人英語講師ではなく、一般の保育園において保育士によって行われたらどうでしょうか?この保護者の方たちは、同じことが言えるのでしょうか?むしろ、大問題だと受け止められるのではないでしょうか。

でも、インターナショナルスクールの外国人英語講師だと、肯定的に受け止められるわけです。「英語を教えてくれている」「ほかにインターナショナルスクールはない」という思いからなのでしょうか。もちろん、この保護者の方たちに一切の悪気はなく、むしろわが子のためを思ってのことであることは理解できます。それでも、子どもの安全・安心と、早期教育、どちらが優先されるべきか。問題はそこにあるのではないでしょうか。

子どもは、園も先生も選べない

親は、「行き過ぎたしつけ行為」や「子どもの心に与える傷」に対して、常に敏感でなければなりません。なぜなら、子どもは園も先生も選べないからです。子どもは、心に傷を受けても、その因果関係もわからず、お母さんに表現することもできず、その傷を抱えて過ごさねばならないのです。

そして、保育所の運営者は、子どもの安全と安心が確保されていることを最優先しなければなりません。それは、英語だのインド式算数だの、能力別クラス編成なんかよりも、はるかに重要なことです。さらに言えば、こうした早期教育や英才教育は、扱いを間違えれば「悪」にさえなりうる諸刃の剣であることを、知っておく必要があります。(これについては、2018年9月7日の理事長ブログで書いています。)

子どもを守ってあげられるのは、最終的には大人です。その大人が、「しつけ」の名のもとに「暴力」を容認し、「教育」の名のもとに「自己都合」を押し付けて、子どもの安全と安心を放棄することがあってはならないと思うのです。

一般社団法人日本アタッチメント育児協会
理事長 廣島 大三

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