会ったことはないけど、人生に影響を与えた二人の師

目次

会ったことはないけど、
人生に影響を与えた二人の師

イギリスへのゆかり

ジークムント・フロイト

ジョン・ボウルビィ

今回のイギリス訪問のもう一つのメインは、フロイトとボウルビーを訪ねること。イギリスは、ボクの人生に大きな影響を与えた二人の師に深く関係する地だ。精神分析の祖であり、近代心理学を形づくったジークムント・フロイトは、ナチスのユダヤ人迫害を逃れて、オーストリアからロンドンに移り住み、晩年を過ごし、骨をうずめた地。そして、フロイトの娘アンナ・フロイトに師事した精神分析家であり、のちにアタッチメント理論を提唱したジョン・ボウルビーの生まれ育った地イギリス(ボーンマス)。そして、ボクが心理学に出会ったのもこのイギリス。

もちろん、二人とも会ったことはない。それでも、師匠と呼びたいのだ。特にフロイトについては、その生きざままでも尊敬し共感するところが多い。そんな二人の足あとを訪ねるのも、今回の目的の一つだった。

フロイト博物館とボウルビー・センター

今回訪れたのは、フロイト博物館とボウルビー・センター。フロイト博物館は、ジークムント・フロイトがロンドンに移り住んだ晩年を過ごした家をそのまま博物館にしている。これは、娘アンナ・フロイトの遺志だったそうだ。

ボウルビー・センターは、ジョン・ボウルビーのアタッチメント理論に基づく精神分析的アプローチのセラピーを提供し、またセラピストの養成を行っている施設だ。

大事なのは、実際にその地を踏み、感じること

今回の目的は、視察とは少し違う。見学し説明を受けるのではなく、行って、感じること。27年前にイギリスにいたときから、これらの施設は存在した。しかし、出会ってはいなかった。すぐ近くにあったのに、学生のボクは、行ってみようという発想さえなかった。

ボク自身が、子育てをボウルビーのアタッチメント理論から学び、その原点であるフロイトの幼児性欲論にたどり着き、日本アタッチメント育児協会をたちあげて10年が過ぎた今、ようやくこれらの地を踏んだのだ。このタイミングには、大きな意味があると思っている。

「なぜボクは、イギリスの大学で心理学を学んだのか。」

当時その答えは、「英語を学ぶため」だった。心理学が目的ではなかった。しかし、27年たったいま、その真の意味が浮かんできたように思う。その答えを、この地ロンドンに探しに来た、いやむしろ「感じに来た」のだろう。

ボウルビー・センターを訪ねて

この日最初に訪れたのは、ロンドン市内にあるボウルビー・センター。ここは、ボウルビーのアタッチメント理論を継承したセラピストを育成することを主目的としている。

ところで、ここは、ボウルビーが設立した施設ではない。ボウルビーとともにフロイトの伝統的な精神分析に新たな試みを投じたカレン・ホーニーの名のもとに、1976年に設立されたカレン・ホーニー精神分析カウンセラー協会が始まりだ。その後、自己分析研究所と名を変え、これまでの精神分析の手法に、ボウルビーのアタッチメント理論が取り入れられ研究が進み、アタッチメント理論をベースにした精神分析的心理セラピー(Attachment based Psychoanalytic Psychotherapy)が確立された。それにちなんで、施設名も現在のボウルビー・センターとなった。

学校というよりも、ボウルビーとその仲間たちが集う家という感じ

 

ここは、セラピスト育成のためのさまざまな講座や研修、それから4年制の授業プログラムが行われる。学生の多くは、大学を卒業して社会に出た人たちだ。つまり、心理セラピーの社会人大学のようなところだ。

授業だけでなく、学生やここで育ったセラピストによるセラピーも行われており、OJTの場として、また臨床研究の場としても機能している。

実際に行ってみると、公園の中に小さな一軒家が建っている。とてもすがすがしい場所だ。学校というよりは、落ち着ける寄合所のような雰囲気だ。中心から少し離れたこの環境は、静かでのんびりしていて、学ぶにもセラピーを受けるにも環境が良い。

「ボクが最終的にやりたいことの形は、こんな感じなのかもしれない」

ボクは、かねてより日本アタッチメント育児協会を、最終的には学校のようなものに発展させたいと考えている。しかし、それは通常イメージするような郊外の広いキャンパスの中にある大学のようなものでもなく、都心のビルの中にある講義室のようなものでもない。まさにこのボウルビー・センターのような感じなのかもしれない。ここに来てみて、それを発見した。

都心ではなく、郊外でもなく、環境の良い住宅街にひっそりと建つ一軒家。知っている人以外は、そこが学校だとは思わない。そんな場所で、社会人になってさらに、子どものこと、子育て、保育、発達について学びたい人たちが集い学ぶ場であり、悩める人が相談に来る場。ボウルビー・センターは、そんな理想を見せてくれる場所だった。

フロイト先生を感じる

 

ボウルビー・センターを後にして向かったのはフロイト博物館。ここは、閑静な高級住宅街にあり、実際にフロイトが晩年を過ごした家。実際、かなりの豪邸だ。

ここがフロイトの診療所でもあり、研究室でもあり、家族とともに暮らす家でもあった。中に入ってすぐに右に、フロイトの書斎がある。ここでクライエントの話を聞いたり、論文を書いたりしていたそうだ。

 

写真の左側にある変わった形の椅子が、フロイト愛用の椅子で、人間工学に基づいて特注で作らせたものだそうだ。また、机の上に並べられたたくさんの像などは、考古学的な骨董品で、フロイトのコレクションであるが、フロイトは、これらを精神分析のメタファーとして利用していたという。

写真右には、ラグの敷かれたカウチ(寝椅子)があり、その隣には、緑色のソファがある。クライエントは、心地よくこのカウチに横たわり、心に浮かんだことをそのまま話した。フロイトは、その隣にある緑のソファに座り、クライエントの視界からはなれた位置で、その「自由連想」に耳を傾けたそうだ。この方法は、のちに精神分析療法が確立される基礎となっている。

そこかしこに見えるフロイト先生のこだわり

よく見ると机の上には、たくさんの像や置物が並んでいる。これらは、フロイトのコレクションで、すべて歴史的の価値の高いものばかりだそうだ。なぜ、ここに飾られているかというと、クライエントがソファに座った時、ちょうどこれらが目隠しになるように置かれていたらしい。一つの空間を共有しつつ、相手との間にあいまいな一線を引く。クライエントの自立を願い、依存を好まなかったフロイトらしい環境設定だ。

実際にここにいると、フロイト先生がクライアントの治療にあたっている様子や、例の難しい顔で論文を書いている様子が見えてくるようだ。

フロイトの椅子の背面側に目をやると、壁一面が本棚とコレクション用の飾り棚になっている。像や置物、つぼなどは、すべて本物の骨とう品で、歴史的な価値も含め相当貴重なもので、すべてフロイトが趣味で集めたコレクションだそうだ。

もともとは、本もコレクションもオーストリアの実家にあったものだが、ナチスの迫害を逃れロンドンに亡命し、この家に移った後で、オーストリアにいる有志たちが、ロンドンに送ってくれたものらしい。つまり、ここロンドンのフロイト博物館にあるものは、すべて本物で、本家のオーストリアのフロイト博物館のものは、レプリカだそうだ。

フロイトを通して、大好きなダリにつながる

この日訪れたときは、ちょうどサルバドール・ダリ展を開催していた。フロイトは、ロンドン時代にダリと深い親交をもっており、ダリは、フロイトに向けてたくさんの作品を残している。

   

ちなみに、ボクはダリが大好きで、シュールレアリズムに感化されたのはダリが始まりだった。そのきっかけは、やはりロンドン時代にパリに旅行に行って、モンマルトルのダリ美術館を訪れ、衝撃を受けたのを今でも覚えている。今回の旅は、フロイトつながりで、ダリのおまけまでついてきた感じでうれしかった。

子どもとその家族のセラピー施設
アンナ・フロイト・センター

フロイト博物館を出て少し下ると、すぐ近くにアンナ・フロイト・センターがある。アンナ・フロイトは、フロイトの娘であり、精神分析を子どもに向けて研究した人である。そして、ボウルビーが師事し、大きな影響を与えた人でもある。

ここでは、アンナ・フロイトの功績に基づき60年以上にわたって、子どもとその家族の精神衛生をケアしている。ここで行うのは、メンタルヘルスケアだ。

特にアンダー・ファイブ(5歳以下)の子どもたちのケアに力を入れている。また、School in Mind(心の学校)という無料のネットワークを運営し、教職員が子どもたちとどう接すればよいのか、子どもたちの心の健康を保つために何ができるか、といったことについての情報提供をしている。

師であるアンナ・フロイトのこうした考えは、ボウルビーの乳児期の母子に着目したアタッチメント理論に確実に大きく影響しており、フロイトの伝統的な精神分析に新しい風を吹き込むきっかけを作ったのだろう。実際にその地に赴くと、そんな関連性のある想像が頭をよぎる。

厳格なフロイトの精神分析と、母子に目を向けたボウルビーのアタッチメントによる新たな風

ボウルビー・センター、フロイト博物館、アンナ・フロイト・センターを訪れて、今回はじめて感じることができた。先駆者であるジークムント・フロイトと、それを受けて新たな風を注いで発展させたジョン・ボウルビー、その橋渡しとなったアンナ・フロイトのつながり。

 

27年前、ボクは学問の中で、この3人にすでに出会っていたけど、意識下にはなかった。その後、はじめてであったかのようにボウルビーに出会い(本を通してですが)、そのルーツとしてフロイトに出会う(これも本を通して)。さらに時を経て、こうしてロンドンに来て、二人の師フロイトとボウルビーの足跡をたどっている。

こんなのは、後付けのストーリーでしかないけれど、それでも、ボク個人には大きな意味がある。飛行機で片道12時間かけて行った甲斐があったというものだ。

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