アタッチメント的考察(3)「いじめ」をなくすことが出来るのは誰なのか?

 いじめの正体が見えてきたところで、では、どうすれば良いのか?

「いじめ」をなくすことが出来るのは誰か?

という最後の問いについて考えてみましょう。結論から言うと、学校の先生でも、教育委員会でも、地域の民生委員でもなく、それは、「親」以外には考えられません。

「私は、この世においてかけがえのない価値のある存在である」という根拠を必要としない絶対的な自信

これがきちんと育っている子どもは、そもそも「いじめ」をする理由がないのです。なぜなら、「得体のしれない不安と恐れ」を持つことがないからです。逆を解せば、この自信が育っていない子どもが、いじめに走るのです。そういう子どもには、この「絶対的な自信」を与えてあげなければなりません。それを子どもに与えてあげられるのは、親以外にあり得ません。

 どうやって?

 ここで、ようやく「アタッチメント」が登場します。条件なしに褒めて、笑いかけてあげることです。抱きしめてあげることです。大好きなこと、楽しいことについて、いっぱい話をすることです。そんな当たり前のことが、出来てこなかったから、「持っているはずの自信」を育てることが出来なかったのです。

つまり愛情のかけかたを、間違ってきてしまったのです。

 そもそも、自己肯定感が育っていない子どもというのは、幼少期のアタッチメントが欠如していることが原因です。それは、虐待やネグレクトといった特殊な環境に育った子どもにだけ起こることではありません。むしろ、親も愛情をかけて育てていて、きちんとした家庭で育った子どもに起こっているのが実情です。昨今の少年犯罪において、罪を犯した少年は、たいてい親も家庭もしっかりしていて、家族仲も近所では、あいさつのしっかりできる子どもだったりします。「いじめる側」の子どもたちも同じです。

 親が、愛情のかけかたを間違えてしまっていて、それに気付かずにいる。気付く機会もない。

 これが、問題の根っこです。さらに、自己肯定感が育っていない子どもは、親や先生の前では、良い子を演じます。これが、問題を複雑にしています。親は、問題が発覚して、自分の子どもがいじめをしていたことを知ったとしても、友達と悪ふざけをしたのだ、という程度に考えてしまい、子どもを叱って終わってしまい、子どもの心の中の不安と恐れは、癒してあげられません。ましてや、「自らの愛情のかけかたの間違い」という根本原因に気付くことも出来ないのです。

 では、どうすれば良いのか?

 それは、親が、こうした事実を知識として知って、自分の子どもが「いじめる側」になった時には、自らそれに気づき、愛情のかけかたを見直し、「ありのままのわが子」を受け入れ、条件なしに笑いかけ、愛してあげるように、方向修正を行える準備をしておくことです。

 いじめは、深刻化する前に、その前兆となるような小さな事件が、必ずあるものです。そうした事件は、多くの場合、親同士あるいは学校内で、穏便に済まされてしまいます。その前兆となる小さな事件を見逃さないで、先ほどの愛情のかけ方を見直すことで、わが子を「いじめる側」にしないで済むのです。そして、わが子が抱える「漠然とした底のない不安と恐れ」を「自分の軸となる自信」に変えてあげることが出来るのです。その自信は、これから先の「生きていく力」となります。

 そうして、すべての親が「ありのままのわが子」を認めてあげれば、「いじめる側」の存在意義はなくなり、現代のいじめ問題は、消滅します。そう信じてやみません。

 子どもに対して、我々外部の大人が直接してあげられることは、ごくわずかです。子どもにとって大切な多くのモノは、親にしか与えられないものなのです。親は、そのことを知る義務があります。私も一人の親として、自分への教訓を込めて、そう感じます。そして、我々に出来る「ごくわずか」なコトは、そのことを、地道に、根気よく親に伝えていくことなのかもしれません。

 

一般社団法人日本アタッチメント育児協会

代表理事 廣島 大三

 

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