ふたたび 『子育てルネサンス』

100年前から大事にされてきたもの。100年後も大事にされ続けるもの。子育てにおいて指針となるのは、本来こういうものを置いて他にはありません。しかし、こうしたものほど、その価値をつらぬくことは至難の業です。なぜなら、それらは、いつも“あたりまえ”なことだから。“わかりきっている”ことだから。大事にしている“つもり”になってしまいがちなことだから。

原点回帰して、子育てを再発見する

日本アタッチメント育児協会を設立して15年が経ちました。当初から主張していたメッセージがあります。

『子育てルネサンス』

わたしたちが、これまでやってきたことを、一言で表現する言葉です。ルネサンス Renaissanceは、フランス語で “再び生まれること” (re- 再び + naissance 誕生)を意味します。この言葉に『子育てを再発見しよう』というメッセージを込めています。

今年3年目を迎えたコロナ禍・・・ロシアとウクライナの戦争・・・社会も経済も安定を失い、正体のわからない不安が広がり、巡り巡って子育ても揺らいでいます。そんな時代だからこそ、「原点に立ち返る」ことは、この上なく重要です。原点はひとりひとりの土台です。土台をかためることは、安心・安全の気持ちをとりもどすことにつながります。

“あたりまえ”は、置き去られます。
“わかりきっている”ことには、無関心です。
“つもり”になっていることは、間違います。
すべて、現代の子育てにおいて起こっていることです。

「子育ては、愛情です。」それは、あたりまえです。

「愛情豊かに育てれば、子どもは幸せに育ちます。」そんなことは、わかっています。

「子どもの幸せを願うから、教育費は惜しみません。」それは、愛したつもりになっているだけの間違った考えかもしれません。

 

“あたりまえ”を拾い上げて、腰を据えて見直してみる。すると、“わかりきっていたこと”の本当の価値に気づけるはず。そうすれば、“つもり”では得られない本質に出会えます。

「アタッチメント」を謳えばよいわけではない

ここ数年で、アタッチメントは一般の人にも注目されるようになりました。とても良いことだと思います。一方で、なんの関連性も脈絡もなく「アタッチメントを育てる〇〇」とか「〇〇はアタッチメントを大事にしています」と謳われているのを目にすることも多くなっています。そこには『“アタッチメント”と言っておけば注目されるし、興味をもってもらえるだろう』という発信者の安易な態度が見え隠れします。

これでは、アタッチメントにおける“大事なこと”が置き去られ、無関心に扱われ、わかったつもりになって、言葉だけが一人歩きしていると言わざるを得ません。受け手も、あたりまえ過ぎて、この安易な態度に疑問を抱きません。

アタッチメント理論において大事なことは、どれも“あたりまえ”のことばかりです。

赤ちゃんが泣いたら、抱き上げてあげましょう。子どもにはたくさん「ギュー」してあげましょう。話しかけてあげましょう。笑いかけてあげましょう。褒めてあげましょう。

「わかってますよ、そんなこと!毎日やっています。そんなことよりも、もっともっとアタッチメントに良いことをしてあげたいんです。」

こうして、大事なことは、すっ飛ばされて、無関心なまま、誤った方向へむかってしまうのです。

アタッチメントの“あたりまえ”を、丁寧に拾いあげてみませんか

アタッチメントに良いことをしてあげたいなら、アタッチメントをちゃんと理解し、自分のものにすることから始めなければなりません。言葉を知っていることは、ただ言葉を知っているだけです。理解することでも、ものにすることでもありません。

とは言え、アタッチメント理論は、発達心理学のなかのひとつの理論であり学説です。この言葉の奥には、膨大な知見と文脈が存在します。子どもの発達段階や環境によって大事なことは変化します。すべてを学びきることは、簡単なことではありません。

ただし、子育て支援に関して言えば、すべてを学びきる必要はありません。少なくとも “大事な本質”を学んでいれば対応できます。それなら、わたしたちにも“学びきる”ことができるのではないでしょうか。

アタッチメントの“大事な本質”だけを、ひとつひとつ丁寧に拾いあげて、理解し、ものにする。まずは、そこから始めれば十分です。そこには、新たな発見があります。現実の子育てや保育で、それを実践してみたなら、かけがえのない価値に気づくはずです。

すると、となりの子育てに焦る必要はなくなります。テレビや動画にでてくる専門家と称する人たちの情報に右往左往しなくなります。「わたしの子育てはこれでいいの?」と不安に苛まれることもなくなります。

ただ知識を増やすことは、学びではありません。新たな発見、解釈を得て、それによって、採れる選択肢が増える、自信をもって選択できる、迷いがなくなる、偽物の情報に踊らされなくなる。これこそが、学びの本来のあるべき姿です。

大事なことは、いつも“あたりまえ”の中にある

たとえば、育児セラピストを受講した人がいたとします。

一人は「もう知っています!」、「それはわかっています」という心もちで受講しました。この人は、なにか耳ざわりの良い新しい情報を期待して、本質には興味がありません。その結果、学びは得られず、不安な現状も変わりません。

もう一方の人は、なんとなく知っていた言葉の本当の意味や背景、裏付けを知り、現場を想像しながら受講しました。その人は、このような感想を述べるでしょう。

「これまで学校や研修で学んで知っていたことだったけど、ここであらためて学んでみると、まるではじめて学ぶ事みたいに、たくさんの発見がありました。」

この態度こそが、“あたりまえ”を丁寧に拾い、大事な本質を理解し、ものにする態度です。

繰り返します。学びとは、知識の収集ではありません。“あたりまえ”のなかに見過ごしてしまった“大事なもの” の価値に気づき、理解し、活用することです。これが、本物の生涯発達です。同時に、誰にでも可能なことであるはずなのに、多くの人が見逃してしまっていることです。

それに気づき、再発見の波を起こそうとしているのが「子育てルネサンス」にほかなりません。

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