モンテッソーリ:無干渉の法則

かの有名なモンテッソーリが教師のあり方について述べたこんな一節があります。


 教師は、子どもたちが自分自身で活動できるように準備するだけで、背景に引きさがるべきであるということが、ますます経験から明らかになってきます。
 私たちの仕事は、干渉は不必要なものであり、有害でさえあることを教師に納得させることです。わたしたちはこれを『無干渉の法則』と呼んでいます。
 教師は苦心して主人の飲み物を用意しておいてから、かれが随意飲めるようそれを残して去る召使のように、何が必要とされているかを判断しなければなりません。
 教師は、ひかえめになることを学ばなければなりません。つまり世話をする場合に、子どもたちに自分を押し付けるのではなく、たえず気を配って、その進歩に従い、かれが次の活動のために必要としているらしいものを、残らず準備しなければならないのです。
        M.モンテッソーリ著 「モンテッソーリの教育」より

これは、3歳の子どものことについて書かれた章のなかの一節です。ですので、ここでいう教師というのは、保育士のことですね。この本は、内容的には「親」というよりも「教師」に向けて書いてあるのですが、こと『知育』や『教育』ということに焦点をあてれば、親としての役割も、また、ここでいう「教師」のような視点を持つべきだと言えます。

この「無干渉の法則」は、平たく言ってしまえば、子どもの発達段階を見極めながら、必要であろうアクティビティができる環境を与えて、あとは放っておく、干渉しないってことなんですね。
これは、3歳という幼児への扉を開けた子どもには、とても重要なことじゃないかと思います。それまでの乳児期というのは、「遊び」に親が積極的に参加して、「対話」を生むということが求められていました。それが知育でした。3歳という年齢に達すると、こんどは、「自分で」成し遂げる、探求する、発見する、といったことが重要になってきます。

かといって、3歳の子どもが、自ら筋道をたてて、自分の欲求に従って、準備から実行、検証までやってのけるはずはないんですね。だから、親や保育者が、子どもの発達段階や興味の対象を把握して上げって、その道筋を用意しておく必要があるわけです。
あとは、それを子どもがどのようにしようと、放っておくことが大切です。ついつい親や保育者は、自分が描いた筋道(遊び方)を通ってもらおうと、子どもを誘導しようとします。(ボク自身がそうです)でも、そこを「グッ」とこらえて『無干渉の法則』を貫くことが大事ですね。

モンテッソーリというと、「幼児教育」の側面がクローズアップされがちですが、親として大いに参考になるのは、モンテッソーリのこうした「教育理念」だったり、「発達段階ごとに述べられた特徴と教育方針」といったソフト面にあると思います。たとえば、「知育玩具(教具)」を使えばいいというものではなくて、むしろ大事なのは、こうした「考え方」ではないかと思います。

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