いまどきの産婆―現代開業助産師考― その2

1 はじめに

先回の助産婦紹介につづいて、今回は、本当に「助産師職」が現代の日本社会において「必要とされる職種」であるかどうかを検証してみたい。もちろん「助産師」である私自身の見解は、言うまでもない。私は、日本において、否、現代の人間社会においてこそ、この「助産師職」が必要欠くべからざる職種であると確信している。

2 日本社会の中の助産師

☆現状から

だが今、我々助産師職の置かれている社会情勢を展望してみると、明るいものがほとんど何も見えてこないのである。助産師といる職種の重要性が、本当に人々の中に浸透しているものか疑わしい。自分が天職と思い、誇りを持っている助産師という職業が、必要性を確認しなければならないなどという情けない事を考えたくはないのだが。

しかし現実には、厚生労働省の指針の中でも、シルバープランのみが今後の行政の大きなウエイトを占め、そのシルバー社会を支える世代が、今現在、地球上では何処に位置しているのか。あるいは現在、その重責を担うべき幼少の対象年代層がどのような生まれ方、育ち方をすべきなどについては、ほとんど触れられていないのである。

☆現状打破へ

そればかりか行政では、その人間誕生という人生の第一歩に直接的に関わることを専門的な業とする助産師の存在を、抹消しようとしているという。動物実験では、母児の早期接触が如何に大切かを論じ、鳥類においての刷り込みの恐ろしいまでの直線的母子関係を喧伝しているのに、人間だけは別物とでも考えるのであろうか。
女性にとって出産という生理現象が地に足の着いたもので なくなって20余年。もうそろそろ、本当の生き方――生まれ方から死に方まで――を、人間生活の活 動の中で、一貫したものとして捉えるべきだということを知る時代が到来しなければならない。にもかかわらず、厚生労働省では女性の産むことへの意識付けをますます「生き方を問う」ところから遠ざけようとしている。生まれ、そして育つ中でこそ、生き方が見え、老齢化社会を支える原動力としての意識が生まれてくることを見通せないでいるのである。次代を担う人間は、良い生まれ方をしてこそ、良い生き方ができる。良い育て方知らない親からは、子が良い育ち方を学ぶことはできないのではないだろうか。

3 生物としての人間の出産

☆普遍の事実は

人間とて地球上の生物である。万物の掟に従うもの。当然、種保存の原理は成立する。人間とて他の哺乳動物と同様、生と死の間に有限の命を持ち、なにものかに支配され、生かされていることに何らかわりはない。
種保存の原理が出産という生理現象として営まれるからには、人間とて特異な存在ではないことが明らかなはずである。しかし、人間においてのみ唯一認められ、介入が許されている部分があり、それが出産の介助、すなわち「助産」であると私は考える。

☆悲劇にしない

人間は、大脳皮質の進化のために、最大の頭を持つ哺乳類「大頭動物」となった。出産に際して、からだの中枢部分である頭部が大きいということは、分娩時の無酸素状態、陣痛による圧迫など大きな負担に耐えねばならない部分が頭であるということである。そして一番大きい頭部分に対して負担が一番大きいということは、とりもなおさず出産には不利な条件であり、これが難産の象徴である。またさらに、二足歩行に由来する脊柱と骨盤の関係からみて、これまたやはり、胎児が母体内にあるときから母胎内でのポジションが不安定になりやすく、母体自身も腰痛など脊柱に対する負担を生じやすい条件がそろっているのである。

 

☆人間の特性

こうして人間は、地球上の生き物の頂点に立てる頭脳を持つことと引き換えに、種保存には不利な条件をいくつも背負わざるを得ない方向へと進化してきたのである。この不利な条件は、人間の二つの性のうち、とりわけ女の側に背負わされたと言える。そして女性は、流・早産、難産を強いられる身体的構造を自ら選んできたとも言えるのである。
さらに、出産後の育児においても同様のことが言えるのである。「授乳」という種保存のために自然が与えた乳汁の分泌すらも、人類の直立生活によって、乳腺炎というトラブルを起こしやすいからだの構造を、進化の過程でもたらしてしまったのである。このように、人間においては進化という過程が、自分自身に多くの問題を産出した。それゆえに、さらなる介入あるいは人工的援助を必要とするようになる。一見矛盾しているようなことが妊娠、分娩、育児の中で連続的につながって発生してくるのである。

☆人類も生物

こうして、人間は唯一出産のために介助が必要な種として、地球上で生き物の頂点に君臨しているのである。しかし悲しいかな、いくら頂点を極めても出産の際の難産傾向、授乳時のトラブル予防については対処することができず、人知の及ばぬなにものかの支配を受け続けて現在に至っている。

4 産婆という職業

☆産婆―自然発生論

人間の出産の場面において助産をする女性が現れた。産婦への援助をする女性。それに慣例的に携わるようになった女性が、やがてそれを「業」とするようになった。この助産師の発生経過は、自然な成り行きである。出産という生理現象が否定・抹消されないかぎり「助産師」は出産場面において重 要かつ必要な職種であると確信する。

☆当座の結論に代えて

そして、この生むことに携わるという点に由来する「助産師」の絶対的信義について、だからといって自分たちの職業を誇り高い職種と自画自賛していいものか、このところ考えさせられた。中でも、私自身が選択した「自宅出産専門」という開業形態が、この日本社会において必要な専門職と言えるのか否かを検証してみたい。今年、自らの活動のステージを地域に移して三年目を迎えた春である。

5 助産師という職業の現状

☆実数

現在(1997年現在)助産師は全国で23,000余名。助産師の中でも、ごく一握りの4000人程度(18%)が、開業助産師として地域活動をしている。19000人以上の助産師のほとんどは、病院、診療所などの医療施設で勤務する、いわゆる「勤務助産師」である。また、開業助産師の半数は、施設(助産所)を経営している助産師か、あるいはその助産所に働く助産師である。
これに対して出張専門の開業助産師は2500人(開業助産師のうちの50%強)そして、さらに「出張での助産請負い」の業務形態をとる助産師は、実質的には500人を切るのではない かと考える。

☆産婆形態

開業助産師の業務形態で「出張助産専門」とは、かつてのいわゆる「産婆」の仕事形態である。「自宅分娩専門」の職業携帯を継承することは、この日本社会において必要ではないのだろうかという疑問に突き当たってしまいそうである。

☆新産婆登場

「出張助産専門」をうたい文句とする地域助産師の存在を、社会はどう評価してくれるのだろうか。出張分娩専門の助産師として昨年一年間で16件の出産に立ち会ったことを、私は振り返りたい。実際のケースを通して「専門職としての使命」を私自身がどのように感じたのかをまとめよう。そして社会的な評価に耐えられる専門的職業として、つまり産婆という誇り高い先輩の想いを過去の栄光にとどめるのではなく、現代社会での重要な専門職「開業助産師・自宅出産請負い」として認められ、評価され、誇り高い専門職として、多くの若手助産師が私たちのあとにつづいてくれることを切望する。

6 助産師の使命

☆生命ロマン

生命創世35億年をかけた、たった一つの細胞が60兆の細胞を持つ人間に変身していったプロセスとは、時空を超えた、神と称するなにものかにだけ関与することの許された途方もない出来事であった。そして、人間以外の地球上の生き物は、すべてが種保存の原理に従い、本能に支配され、時には自らの命と引き換えにその子孫を残してきたのである。

☆助産師

助産師という職業が、人間だけに許された種保存のための介添人として発達した職業であるとするならば、そして、それば人間という霊長類の頂点に立つ人間にだけ許された子孫を残すための有益な手段であるとするならば、助産師の歴史そのものが、ほとんど人間社会の歴史の発達と共に歩み進んできたと考えるのが妥当であろうと考える。
助産師は、現在のような社会が確立されるはるか以前から、いろいろな形容をされつつ歴史の中に 実在していたことが明らかなのである。

(この文章は、1997年3月15日発行の「プロジェクトエム通信第9号」に掲載されたものです。)

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

コメントを残す

このページの先頭へ