アタッチメント、これからの10年 にむけて変わりゆくもの

アタッチメント、これからの10年
にむけて変わりゆくもの

アタッチメント理論から半世紀を経て、
変わらないものと変わったもの

ボウルビーがアタッチメント理論を発表して半世紀。今でもアタッチメント理論は、なんら色あせることはありません。アタッチメントでいうところの、乳幼児期の基本的信頼や心の安全基地といったものの大切さは、いつも同じです。そうした子育ての本質や、母子関係(母性的養育者)の役割は、これから100年たっても変わることはありません。

一方、ボウルビーの時代から考えると、この50年で社会は、ずいぶん変わりました。子育て環境も大きく変わりました。核家族は、いまや当たり前になり、それに加えて夫婦共働きの家庭も増えています。それによって、子育てにおける母親の物理的な負担は大きくなるばかりです。

それにも増して大きな変化は、インターネットとスマートフォンです。これによって、子育てに関する情報は、まさに「氾濫」の域に達し、あふれる情報に溺れ、惑わされるほどです。これによって起こる精神的なストレスは、想像を超えるものと言えます。 まさに、子育てそのものが困難な時代と言ってもよいでしょう。

アタッチメントの解釈も、
時代に合わせる必要がある

ボウルビーによれば、生まれたばかりの赤ちゃんは、本能的にお母さんに「くっついていようとする」。それをアタッチメント行動と呼びました。赤ちゃんのアタッチメント行動に応答的にこたえることによって、お母さんと赤ちゃんは母子関係を深めていきます。それが、のちの対人関係のテンプレートとして機能して、他者との関係を構築します。ボウルビーは、このアタッチメント行動の担い手を母親に限っていたわけではありません。母的役割の大人=母性的養育者としています。

一方で、ボウルビーは、安定したアタッチメント形成のためには、乳児期にいつも関わってくれるひとりの養育者とアタッチメント関係を結ぶことが、重要であると考えました。そして、最初に母子関係が作られて、その後、父親や兄弟姉妹、おじいちゃんおばあちゃん、そして友達や先輩、先生、恋人や伴侶と関係性を階層的に広げていく。

この考えは、メカニズムとしては今も変わらないものとして機能しています。しかし、母親(母性的養育者)の状況が大きく変わっている現代では、解釈を変える必要性が生じているのも確かです。

核家族化と共働き、そしてインターネットにSNS、
それらが子育てに与えた影響

いまのお母さんは、おばあちゃんが、他県に住んでいて、日常的に子育てを助けてもらうことが難しいケースも多いでしょう。しかも昔と違って、仕事を持っているお母さんの方が多くなっています。そのため、物理的に非常に忙しい毎日を余儀なくされています。

さらに、インターネットで子育て情報が氾濫し、それらに翻弄され、不安が大きくなってしまうこともしばしばです。SNSでは、「子育てを楽しむママ」を一生懸命に演じて、疲れ果ててしまいます。

仕事をしていれば、平日に子育て支援を利用して、育児相談をしたり、他のお母さんと交流したりして、心に余裕を作る機会も作れません。

そんな状況では、母親というひとりの人だけを、アタッチメントのすべての担い手として機能させることは困難と言わざるを得ません。

子どもの寝顔に幸せを感じられないほど
余裕のない母たち

わが子を寝かしつけたときに、その寝顔を見て、言葉にできない幸せ、「生まれてきてくれて、本当にありがとう」という純粋な幸福感を感じる。それが、その日の疲れやストレスを癒してくれる。子育てには、そのような機能が確かに存在します。この癒しの瞬間が、子育てを続ける活力にもなります。親はこの寝顔を、子どもが大きくなっても覚えています。だから何年たっても、あの寝顔を思い出せば、またあの時の癒しに満ちた気持ちを再現できます。だから、親は、ずっと親でいられます。そうしてアタッチメントは機能してきました。

わたしは、母性神話を強調したいわけではありません。母とか父とか、血のつながりとか、そういうことは関係ありません。他人だったとしても、赤ちゃんの世話を一定期間、安定的に続け、アタッチメント関係ができてくると自然に起こる現象です。これは、エングロスメント(のめりこみ)と呼ばれる「心の機能」です。それによって、たった一瞬のひとときが、癒しになり活力になるという話です。

しかし、いまのお母さんは、この寝顔をじっくり見る余裕さえありません。時間的な余裕ではなく、心の余裕です。心の余裕がないから、感じられない。感じられないから癒しも活力も得られないまま疲弊してしまうのです。現代において、たった一人で、アタッチメントの担い手になることは、それほどに荷が重いことなのだと言えるでしょう。

アロマザリングは、
アタッチメントと折り合うのか?

ところで、みなさんは「アロマザリング」という言葉を聞いたことがありますでしょうか。いまアタッチメント理論においても注目されている考え方です。簡単に言えば「母親以外の人による養育」。つまり、母親だけでなく、複数の親密な他者からの養育を受けて、子どもを育てるという考え方です。忙しすぎる、現代の母親にとっては、たった一人で子育てをするのではないこの考え方は、救いとなりえるようです。

一方で、アタッチメント理論においては、乳幼児期には、母親による安定した養育が重要とされてきました。その観点でいえば、アロマザリングは、アタッチメント理論と折り合わないように見えます。

確かにボウルビーは、母親に代表される『長期にわたって、安定して関わってあげられるひとりの母性的養育者』とのアタッチメント関係を重視しました(モノトロピー仮説)。この観点から、アロマザリングを唱える研究者の中には、アタッチメント理論を否定的に扱う人もいます。わたし個人の意見としては、ボウルビーの時代には、母(母性的養育者)ひとりでも、子育てが成立していた(今よりもしやすかった)ということだと考えます。

つまり、「母親ひとり」という部分を、現代的に解釈して、「複数の親密な他者」と置き換えれば、アロマザリングとアタッチメント理論は、十分に折り合うと思うのです。

多良間島の風習が教えてくれる
アロマザリングの可能性

早稲田大学 人間科学学術院 教授の根ケ山 光一氏は、沖縄県宮古郡にある多良間島の「守姉(もりあね)」という風習をアロマザリングの例として紹介しています。島の少女が血縁のない赤ちゃんの子守りをするという、子育てにおける相互扶助の風習です。

守姉に部分的な養育を受けた子どもが、今度は守姉として、部分的養育者になる仕組みです。そうして育った子供たちについて、こう結論づけています。「その効果は、島の子どもたちの自由度の高さ、伸びやかさ、人なつっこさ、強さといった心身の発達に見て取ることができます。」

これは、アタッチメントの機能を十分に果たしながら、アロマザリングを形にしている実例です。しかも、昔からの風習であることを考えると、一過性のものではなく、永続性のあるものであり、子どもの育ちにおいて、良い結果をもたらすことを証明できていると言えるのではないでしょうか。

お母さんひとりで背負わなくてもイイ、
みんなで子どもを育てるという考え方

さて、このアロマザリングを都市部で取り入れるとすると、どういう形がありうるのでしょうか。これを問うと、『「守姉」のような仕組みを、保育の中に組み込んで・・・』という方向に一般的にはなるでしょう。しかし、制度を整えても、文化がなければ「守姉」のようにはいかないでしょう。

アロマザリングを成立させるカギは、制度ではなく、われわれの「考え方」を変えることです。お母さん本人を含めたわれわれみんなが、「アロマザリングを肯定的に受け入れる」ことが重要だと思うのです。つまり文化です。

「仕方がないからアロマザリング」ではなく、「アロマザリングで育てよう」「子育ては、みんなでするもの」という認知の書き換えです。これを心から受け入れることが出来たとき、アロマザリングは、アタッチメント機能として成立するのだと思います。それがあった上での制度ではないでしょうか。

これから10年のアタッチメントのあり方

これからのアタッチメントにおいて、アロマザリングの視点は欠かせないように思います。そして、実はわれわれは、その土壌をすでに持っています。

たとえば、保育園の未満児保育。いつも決まった担任の先生が、お母さんの代わりにアロマザリングしてくれています。実際、私の知る未満児(0・1・2歳児)担当の保育士さんの多くは、お母さんと同じように担当園児に関わり、その子のことを心から気にかけています。そうしたアタッチメント関係のもとに、日々の保育をされています。

あるいは、地域の子育て支援センターや子育てひろば。子育ての先輩や育児の専門家が、ベビーマッサージ教室などの場を通して、育児相談にのったり、お母さん同士の交流の場を作ったりしてくれています。こうしてママの不安に寄り添い、時には支えになることや、ママの子育てを応援することも、アロマザリングの一つの形だと思います。

おばあちゃんやおじいちゃんというのも、アロマザリングの頼もしい担い手です。これまでは、実家に帰省して、孫の顔を見せるというのが一般的でしたが、最近では、孫が生まれたら、娘夫婦のところに長期滞在するおばあちゃんもいます。例えば、赤ちゃんが3歳になるまでの間、期間限定で、おばあちゃん、おじいちゃんと同居して、子育てを手伝ってもらうというのは、非常に理想的です。核家族から、大家族制に戻ることは難しいですが、一時的な同居なら現実的です。

これらすべて、何も新しいものではありません。われわれの考え方や意識が変われば、すぐさまアロマザリングの担い手として、非常に頼もしい存在に変わります。

『ヒトは、本来「共同繁殖」および「集団共同型子育て」の性質を進化のプロセスの中で徐々に強めてきたのだ』と人類学者のサラ・ハーディは主張しています。この考えに立てば、アロマザリングは、ヒトの子育てにおいて「仕方ないもの」ではなく、「積極的に取り入れるもの」でありうるのです。

けっきょく大事なのは、アタッチメントの質

最後に、アロマザリングを健全に機能させるために本質的に大事なことをお伝えして終えようと思います。それは「アタッチメントの質」と、それを担保する「母親」や「親密な他者」の関わり方です。それに尽きます。それさえ守られれば、「ひとり」(モノトロピー)だろうが、「複数」(アロマザリング)だろうが、アタッチメントは健全に機能し、子育てはうまくいきます。

この「あたりまえ」こそが、本質なのではないでしょうか。

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