育児セラピスト座談会 vol.3 「支配する親」

第 3 回の育児セラピスト座談会、テーマは「支配する親」です。本題に入る前に、今回の参加者を紹介します。

自己紹介

佐賀県の田中麻須美(ますみ)さんは、「親子 labo. ガジュマル」という子育てサロンを昨年起業された助産師さんです。大阪府の杉本依里(えり)さんは、保育園の看護師としてお勤めです。現在、育児休暇中で、これから子育てサロンもやっていきたいそうです。兵庫県の竹安雄一(ゆういち)さんは、育児セラピストMen’s ゴレンジャーのレッドをしている小学校の先生です。現在は、教育委員会に行っていらっしゃいます。

千葉県の八木謙治(けんじ)さんは、児童発達支援施設の指導員をされています。北海道の小川玲奈(れな)さんは、平日は病院で看護師として勤務するかたわら、週末には自宅に併設したカフェを営業されています。また、ヨガや耳つぼセラピーなどもやられています。奈良県の佐伯侑大(ゆうだい)さんは、育児セラピストMen’s ゴレンジャーのブルーをしている中学校の先生です。この春から、小学校に転任されました。

「支配する親」ってどんな印象をもっていますか?

「支配する親」と言ったとき、それぞれで定義が違うと思います。まずは、それをすり合わせてから、このテーマを斬っていこうと思います。八木さんは、子どもに対して「こうなってほしい」という思いが強すぎてコントロールしてしまったり、指示に従わせたり、約束と言いながら命令のようになってしまう親御さんを挙げてくれました。

発達支援の現場では、こうした親御さんは少なくないと言います。

田中さんのイメージは、子どもに「レールの上を歩かせようとする」親御さん。杉本さんも田中さん同様に「レールの上を歩かせようとする」のは支配だと考える一方で、必要な支配(しつけの範疇にあるもの)もあるのではないか。子どもの傷になってしまうか、そうでないかの境目が難しい、と指摘してくれました。

小川さんは、「支配」という言葉の定義を辞書で調べてきてくれました。「勢力・権力を及ぼして、自分の意のままに動かせる状態に置くこと。考えや行動を束縛すること。自分の利益のために巧みに制御し、取り締まる。」相手が子どもだと思うと、怖くなる言葉だと言います。

教育現場における「支配」とは?

竹安さんは、「支配する親」「支配する教師」というとマイナスの印象だけど、反対に「支配できない親」「支配できない教師」となると、放任や学級崩壊にもつながるのではないか。逆に、その子が自立するための道しるべになるなら、それは「よい支配」なのかもしれない。そう指摘します。

同じく教育現場の佐伯さんは、支配なのかそうでないのかは、「子どもに選択肢があるのかないのか」だと言います。教育虐待を受けている子どもたちは、まさに選択ができない状況に置かれているのだと。

大人が望まないような選択を子どもがしようとしたとき、それを許容してあげられるかどうかが、親や先生に問われているのかもしれません。

望まない妊娠をして、親に見捨てられ、赤ちゃんポストに駆け込んだ女性

話はさらに、親の許容に及びました。親が価値を感じていることについては、子どもをほめるが、親の都合が悪いことは、認めなかったり、味方じゃなくなったりする親がいる。田中さんが、熊本県の「赤ちゃんポスト」に駆け込んできたあるお母さんのことを話してくれました。その方のお母さんは、いい成績を取った時などは褒めてくれたが、望まない妊娠をしてしまったとき、完全に敵になって自分を切り捨てたのだと言います。この女性は、どこにも居場所がなくなり、誰にも相談できずに、スマホの情報を頼りに駆け込んできた、ということだったそうです。

教育現場で見てきた「支配する親」たち

三者面談などで、親御さんの方に「こうなってほしい!」という明確な理想があることが伝わってきて、そこから子どもが少しでも飛び出ると、先回りしてすぐに修正にかかるケースをよく見かける、と竹安さん。

佐伯さんも中学校でのケースを話してくれました。「この子は、がんばればできるんです!」という親御さんは多いが、この言葉はすごく引っかかると言います。本人が十分にがんばっていて、それでも結果がでないとき、先生としてはその「がんばり」を認めてあげたい。しかし、親御さんは結果を求め続けます。「がんばればできる」という言葉は、そういう親御さんの常套句になってしまっている。そうすると、その子の本当の課題に目が向かない。これを言われたときの子どもの気持ちを思うと、危うさを感じます。

その子のキャパシティを超えたことを親が求めてしまうと、それは支配になってしまう。その意味で、子どものことをちゃんと見ることが大事。それは、できないこと、できること、得意なこと、不得意なことを知ることから始まるのではないか、と竹安さん

「厳しくしすぎちゃったかもしれない!」これって支配だったのかしら?

中 2・小 5・年少 3 人の子どもを育てる田中さんの話です。第 1 子の長女は、はじめての子どもなので、幼少期から神経を張り巡らせて育ててきました。

中学 2 年になったいまも成績のことが気になってしまいます。先日、その長女が、塾をやめたいと言い出しました。理由を聞くと、「塾に行っていると、自分から勉強しようという気が起こらず、やらされる感じになるから」、いったんやめたいとのこと。

本人が考えて決めたことを尊重するのが良いし、それが正解だと思う。一方で、親としての本音は、長く通ってきた塾だから続けてほしい。母としてのその葛藤を、長女にすべて話してみました。すると娘さんは、最終的に「塾をやめない」という結論を出しました。しかし、これはこれで、親のわたしが強制してしまった結果なのかもしれない。わたしの長女への接し方は、「もしかしたら支配にあたるのかも!」と思ったりもします、と田中さん。

この話をうけて、中学校教師の佐伯さんは、「田中さんは、娘さんとすばらしい関係を築いている!」と言います。「塾をやめるのが良いのか、続けるのが良いのか」この問いに正解はありません。少なくとも言えるのは、子どもの方から「やめたい」と親に言えたこと。その時点で、どちらを選んでも正解なのではないでしょうか。親に「やめたい」と直接言えた、それだけの関係を、田中さんと長女さんは作ってこられたのだと思いました、と佐伯さん。

塾をやめたい、部活をやめたい、と親に言えない子どもたち

佐伯さんは言います。「やめたいけど、親には言えない」そのことで悩んでいる子どもが圧倒的に多い。「言えない」ことで悩んで、学校に来られなくなってしまう子も多い。そこには、親が子どもに選択肢を許さず、縛っている背景が垣間見えます。

「先生がいっしょに言ってあげようか」と応援することもありますが、多くの子は「親にだけは言わないでほしい」と言います。「先生が入ってくれるなら話してみる!」と言ってくれる子どもは、ごく稀です。

ちょうど 2 年くらい前に、そういうケースがありました。バスケ部の女子生徒が「部活をやめたい」と言ってきました。お母さんに来てもらって、間に入って話をしました。すると、お母さんは「そうだったの!てっきり好きで続けているのだと思ってたわ」という反応。娘は「え!やめていいの?」小学校から7 年間続けてきたバスケをやめたら、怒られると思っていたそうです。親にはそのつもりがなくても、日常の積み重ねのなかで「言ったら怒られる」と子どもは思ってしまっていたのだろう、と佐伯さんは言います。

このケースは、自分からは言えなかったけど「先生が間に入ってくれるなら伝えてみよう」と子どもが思えるくらい親との関係性ができていたから、うまくいったのでしょう。逆に、「親には絶対に言わないで!」というケースでは、それ以上立ち入らない。それは、教師として介入できる限度を超えている、と言います。子どもが「親にだけは言えない」という状況は、それだけ親の支配が強く及んでいると考えられます。そのようなケースは、もはや親子関係に関するセラピーを必要とする領域なのでしょう。

どこまでが “ 親の思い ” で、どこからが “ 支配 ” なのか

八木さんは、発達支援施設で接する親御さんの子どもへの言動で気になることがあるそうです。「パパは(ママは)〇〇だったから、あなたにはそうなってほしくない/あなたにもそうなってほしい」という親御さんがけっこう多くいるそうです。こういう態度は「子どもには子どもの人生があって、パパやママのものとは違う」という大事な前提が抜け落ちていしまっているのではないか、と感じるそうです。

八木さんに「あなたの人生は、あなたものよ」と最初に教えてくれたのは、お母さんだそうです。自分が失敗しても、挫折しても、そのように接してくれたそうです。いまの仕事に就いて、多くの親御さんと接するなかで、自分のお母さんがそのように接してくれたことを、あらためて感謝している、だから「お母さん大好き」といま言えると言います。

八木さんのお母さんの子どもへの接し方は、まさに「支配」の反対側、子どもに選択を委ねる態度です。実際これは、簡単なことではありません。そこには、親としての覚悟がうかがえます。そうできない親が圧倒的に多いのは、これまでの教育現場の事例のとおりだと思います。

視聴者からの質問「不登校の娘に『もっとがんばれ!』という親」

「友人の中学 1 年生の娘さんについてです。この子は小学校高学年のころから不登校です。中学校にあがってからも、1 日しか登校できず、友人(お母さん)が家庭で勉強をみているそうです。試験のときだけは保健室に登校して、定期テストは受けています。成績は上々で、先生にも褒められるそうで、友人はうれしがりながら「この子はやればできる」と言います。そして、もっと頑張るように、私からも声かけをしてほしいと頼まれます。

わたしには、子どもを介して自分が褒めてもらいたいだけのようにも見えます。また、娘ちゃんとは仲良しの友だちのような関係なので、これ以上「がんばれ」といって追い詰めたくない気持ちもあります。どうしたらよいのか、わからなくて悩んでいます。みなさんならどう対応されますか?」

竹安さんが、最初に口火を切ってくれました。まずは、お母さんの自己肯定感を上げてあげるために、話をひたすら聞いてあげることが必要なのではないか。

杉本さんは、「やればできる」といった根性論や根拠のない叱り方は、子どもには伝わらないのではないか、と言います。

田中さんは、『お母さんが勉強を教えている』ことについて、教育虐待になっていないかを懸念します。

たしかに、お母さんが勉強を教えるというのは、先生が生徒に教えるのとはまったく違います。わが子の勉強をみる難易度は恐ろしく高いのです。これについては、先生のプロである竹安さんも佐伯さんも大きくうなずきます。杉本さんは小学生の息子さんの勉強をみることがあるそうですが、つい「なんでできないの!」と感情的になってしまうと、ご自身の例を話してくれました。

小川さんは、実際に不登校の子どもの親御さんの相談に乗った経験を話してくれました。お母さんの話をひたすら聴いていくつかのことが見えてきたそうです。

なぜ学校にいけないのか原因がまったくわからない。その不安は想像以上にお母さんを追い詰めている。夫や母(姑)からは、そうなったのは母親のせいだ、と責められてしまう。「どうしたの?」というご近所や同級生の親の声で、さらに追い詰められてしまう。

これがお母さんの抱える現実なのだと指摘してくれました。こうしたことを言葉に出して、誰かに聞いてもらうだけで、気持ちは晴れると言います。それでも、不登校は、すぐに結果がでることはないので、「ゆっくりかまえて、モヤモヤがたまってきたら、またうちに来て話してね!」と伝えるそうです。

たしかに、心の中にたまったものを言葉にして、それを誰かに聴いてもらうと、気持ちが楽になって、心に余裕ができてきます。そうしてはじめて、いま起こっていることの別の解釈ができるようになります。すると、やり方や言い方を改めたりできるようになります。お母さんのその変化は、かならず子どもにも届きます。

回答:不登校の子どもとその親に、われわれは何ができるのか

質問者さんへの回答をまとめます。お母さんに対しては、ひたすら話を聞いてあげることからはじめてみてはいかがでしょうか。

そうして、お母さんの心に余裕が出来てきたら、これまでのお子さんへの言い方や接し方をいっしょに振り返ってみるのもよいでしょう。

娘さんに対しては、友人として、ひとりの大人として、「がんばらなくてもいいよ!」「すぐに変わらなくていいよ」「ゆっくりやっていこうよ」「私がついてるよ」といった言葉を、お母さんの代わりに、質問者さんが言ってあげる。そうすると、本人は救われます。「誰もわかってくれない」から「〇〇さんは、わかってくれている」と思えることは、大きな救いになるのです。

不登校の子どもを追い詰めているのは、社会なのかもしれない

不登校はいま、学校現場でものすごく増えています。佐伯さんの経験でも、1クラスに4 ~ 5 人いるのが普通になっているそうです。文科省の方針もあって、学校側も「学校に無理に引っ張って来させることが正しいわけではない」という考えに変わってきているそうです。「学校に行くことが善、学校に行けないのは悪」と社会が考えている。それがお母さんを苦しめている一番の原因なのではないか、と佐伯さん。「学校に行くのが善」という社会からの押し付けを、こんどは親が子どもに押し付ける。そんなメカニズムになっている。まずは、社会の価値観がかわっていくことが必要。「学校以外を居場所にしてもイイ」という考えが広まってほしい、と佐伯さんはうったえます。

まとめ:その子のことを知ることが、支配にならない鍵になる

今日のテーマは、「支配する親」でしたが、その背景には「支配させる社会」の存在も垣間見えました。マクロ的に見ると、これは社会問題です。これについては、文科省も新たな提言をしていて、学校も変わってきているようです。

一方で、われわれ子育て支援の立場では、もっとミクロ的にみる必要があります。つまり「その子とその親」です。

今日話をしてきたなかで、まず親御さんに伝えたいのは「子どものことをちゃんと見る、子どもをちゃんと知る」ことの重要性です。不登校になってしまったり、親子断絶の関係性になってしまう前から、これを意図的に取り組んでおくことです。

そして、「子どもの人生」と「自分(親)の人生」を切り分ける。そのうえで、最後は子どもの選択を全面的に受け入れる“ 覚悟 ” をする。

これらをちゃんと行えば、「支配」は起こりません。子どもとの関係性が断絶することもありません。子どもは「〇〇をやめたい」「〇〇をやりたい」「〇〇になりたい」「〇〇に行きたい」と、親に伝えてきます。それが言えるような親子関係で育った子どもは、かならず有能に育ちます。ただし、その有能性が親の期待するものとは限らないのですが・・・

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