第8回育児セラピスト全国大会2017東京会場「10年の時を経て」

遠藤利彦先生 特別講演「アタッチメントと子どもの発達」
~親子関係・保育・教育における大人の役割~

「ライナスの安心毛布」と「ほどよい関係」

遠藤利彦先生

遠藤先生の研究者としての原点である、スヌーピーに出てくる「ライナスの安心毛布」を冒頭にご紹介いただき、ウィニコットの「移行対象」や「ほどよい関係」についての話で、講演は幕を開けました。

この「ライナスの安心毛布」に象徴される「移行対象」は、ウィニコットが提唱した考えで、乳幼児期の子どもが、いつも離さず持っていて、真っ黒になって、時には少し臭うようになっても、決して洗ったり、取り替えたりしてはいけないもので、お母さんの代わりに、子どもに安心を与える「物」です。この移行対象は、毛布だけでなく、やわらかい布であったり、タオルであったり、ぬいぐるみであったりします。最初は、お母さんにくっついていることで安心を得ていた子どもは、やがて成長して、一人でいられるようになります。移行対象は、その「架け橋」の役目を果たす大事な「物」であると、ウィニコットは考えました。ウィニコットは、こうして子どもが成長していく「育児」において大切なのは「ほどよい関係」である、とも言っています。このウィニコットの考えを「最もわかりやすく」「最も深く」説明できるのが「アタッチメント」だと、遠藤先生はおっしゃいます。

私自身、ウィニコットの「移行対象」と「ほどよい」の考え方を、アタッチメントで解釈し、「あそび発達」の講座のテキストでご紹介していたので、遠藤先生のこの話には、冒頭からいきなり深く聞き入り、声に出して大きくうなずいてしまいました。

この話のあと、遠藤先生は「ボウルビーのアタッチメントは、生涯発達の研究であり、一生にわたるものである」ということを強調されました。このような流れで、ウィニコットの話から、自然な形で本題の「アタッチメント」の概要に入っていかれ、生涯発達の観点へとつなげられたのは、「お見事!」と感心いたしました。そして、生涯発達における「縦断研究」のお話に入られました。

アタッチメントの剥奪における長期の縦断研究

遠藤利彦先生

縦断研究というのは、一人の子どもが成長して大人になっていく過程を、30~40年という長期にわたって追いかける研究で、「剥奪研究」と「介入研究」の2種類があります。その中の剥奪研究として、「ルーマニアの捨てられた子どもたち」の研究を紹介いただきました。剥奪研究というのは、普通なら得られる環境や経験を剥奪された子どもを縦断研究するもので、チャウシェスク政権崩壊後に民主化した今も、社会問題となっている深刻な剥奪環境にさらされた遺棄児の心身発達とその後を追った研究です。ルーマニアの施設では、食事やお風呂、トイレは、整っています。しかし、乳児期から一斉保育で保育され、赤ちゃんが並んで一斉に食事を与えられ、一斉にお風呂に入れられ、一斉にトイレをするという環境でした。そして、この研究では「環境を整えただけでは、子どもは育たない」と結論付け、泣いてもケアしてくれないような「人による個別のケアが乏しい」状態では、アタッチメントの剥奪が起こることを確認しました。

そうして育った子どもは、体の発達や健康、あるいはおしゃべりについては、改善が見られたものの、とりわけ「自己と社会性」においては、深刻な発達の遅れや歪みがみられ、それらは、改善されずに残ってしまうことを、中間的成果として検証しました。ここでいう「自己」というのは、「自尊心」や「自制心」「自律心」「自立心」といったものであり、「社会性」は、「人との関係」や「人とうまくやること」「心の理解」「共感性」「協調性」「ルールを守る」といったことを指しています。そして、遠藤先生は、これらを「『助けて!』と言ったら助けてもらえると思える気持ち」と表現されていました。これは、とてもわかりやすく、実感しやすい表現です。

長期縦断の介入研究から見えるアタッチメントの大切な役割

介入研究は、子どもの育ちに対して「介入的関わり」を持ったグループとそれをしないグループにおいて、長期にわたる縦断研究するものです。遠藤先生は、この介入研究として、ノーベル経済学賞受賞のJ・ヘックマンのペリー就学前計画における研究成果を紹介されました。この研究は、「子どもの教育にお金を使う時期」について、教育の対費用効果や投資効果という経済的側面で検証したものです。

結論として、教育において、より少ない資金で、大きな効果を生むのは、「就学前」であることを指摘しました。この投資効果は、就学後には、マイナスリターンに転じ、年を経るごとに下がってゆくことがわかりました。この研究以降、先進国各国において、従来の「就学後教育重視」の考えが変わり、就学前の教育に公的資金が費やされるようになりました。しかし、日本では、まだあまりこうしたことに公的資金は使われていない点を指摘されました。

このペリー就学前計画は、米ミシガン州の就学前年齢の貧困層の子どもに、毎日午前中の保育機会を提供し、そこでは非認知能力を育てる教育を施し、それと共に、親に対して子育て指導を週1回行うということを30週続けた、というものでした。これについて、遠藤先生は、ここで行われた保育というのは「良識ある大人が、一貫した関わりをもって子どもに関わる機会を与えた」ということだと説明されました。つまり、アタッチメントなのです。

この介入を受けた子どもたちと、受けていない子どもたちを40年にわたって追跡調査した結果、40歳の時点で、月給$2000以上の人は4倍、持ち家率で約3倍、生活保護の非受給率で2倍という差を確認しました。さらに、教育面においても、特別支援学級に入る子が少なく、中学2年時点の基礎学力は高く、高校を休学や退学せずに卒業した子が多いこともわかった。また、介入を受けた子どもは、IQなどの認知能力が高いことが確認できたが、プログラム終了後4年以内にこの差はなくなったが、性格特性が関わる「非認知能力」の高さとその優位性については、その後も保たれ続けたことも検証されている。

非認知能力は、アタッチメントそのものだ

遠藤利彦先生

そして、ヘックマンは、この差を生んだのは「非認知能力」であると結論付けている。遠藤先生は、この「非認知能力」というのは、「心の力」であり、まさに「自己と社会性」である。そして、その「自己と社会性」を育てるのが「アタッチメント」である。つまり、「非認知能力は、アタッチメントそのものだ。」と表現されました。

これについて私は、これまでの10年で、われわれが、講座を通して伝えてきたこと、子育て支援の現場でやってきたこと、に対する最高のお墨付きを頂いたような気持で聞かせてもらいました。

「自己と社会性」を育てる「アタッチメント」

ヘックマンの研究から、非認知能力そして「自己と社会性」を導き出し、「非認知能力は、アタッチメントそのものだ。」という言葉からアタッチメントの話へ移られた遠藤先生の講演構成は、お見事だと感じたのと同時に、だから「わかりやすいのだ」と思いました。

 まず、遠藤先生は、アタッチメントを「一日に何回も繰り返される至極当たり前のこと」とし、その2つの定義を確認されました。一つは、アタッチメントは、恐れや不安に対する「くっつき」である、ということ。もう一つは、アタッチメントの対象は、特定の他者であるということ。アタッチメントの成り立ちは、この2つの前提のもと、「くっつき」によって、子どもは「保護してもらえる」という「見通し」を持つようになります。この「見通し」が持てると、難しいことや新しいことへの「探索」ができるようになる。この「探索」が「一人でいられる能力」を育て、それは自律性へとつながるのだと、説明されました。つまり、「くっつく」事がちゃんとできていた子どもほど、一人でいられるということです。

これを理解するために、遠藤先生が紹介してくれたのは、「安心感の輪 Circle of Security® 」という考え方でした。

遠藤先生

出典:Circle of Security International , 2000 Cooper, Hoffman, Marvin & Powell
https://www.circleofsecurityinternational.com/

子どもは、「安心の基地」から新しいことへと「探索」という冒険に出かけます。冒険では、子どもは不安や恐れを経験します。そして「安全な避難所」に戻っていきます。そして、また「安心」の感覚を得ると、探索に出かけます。今度は、前よりももっと遠くへ行くことが出来ます。こうして、輪が大きくなっていくことを、成長あるいは発達というのだと、説明されました。確かに、「安心感の輪 Circle of Security® 」の考え方は、日常で起きるこうした当たり前のことが、一日に何回も繰り返されて、アタッチメントは育まれ、「自己と社会性」が育っていくのだということが、実感できるものだと思います。

アタッチメントと身体的健康

さらに、遠藤先生は、2013年のPuigらの研究成果を紹介いただきました。この研究は、アタッチメントと身体的健康についての研究で、12-18カ月時に持っていたアタッチメント・スタイル(安定群・不安定群)と、32歳時の身体的健康との関連性について調べたものです。その結果わかったのは、幼少期の不安定群は、成人期において、安定群の4倍の身体症状を訴えた、ということでした。

これは、人は、恐怖や不安を感じると、心臓や血管、内臓、脳、神経系など体への負荷が加わる。だから、こうした恐怖や不安などから、直ぐに回復できれば、それだけ体への負荷は小さいし、回復し難ければ、負荷は大きい。つまり、不安定型のアタッチメントの人ほど、負荷が大きいため、心身の不調が出やすいのだ、と説明してくれました。なるほど、わかりやすい説明であると共に、アタッチメントは、身体的健康をも左右するという直感的理解に対して、理論的説明がついたことで、より深いアタッチメント理解を得ることが出来ました。

アタッチメントの2つの心の働き

遠藤先生

次は、アタッチメントには、親が子どもに対して担う二重の働き「感情の調節・立て直し」「感情の調律・映し出し」がある、という話です。前者の「立て直し」が、その子の存在に働きかけるものなら、後者の「映し出し」は、その子の社会性に働きかけるものであり、これは、これまでのアタッチメントのお話の核となるテーマ「自己と社会性」を育てる働きだと、私は個人的に理解しました。

一つ目の「感情の調節・立て直し」は、子どもの感情をなだめ、回復させる働きで、基本的信頼や自律性、たくましさを形成します。この「立て直し」を通して、安全の感覚を回復・維持し、他者は基本的に誰でも自分を確実に保護してくれる、自分は確実に愛してもらえるという基本的信頼感を得ます。これを「愛の理論」といいます。

二つ目の「感情の調律・映し出し」は、子どもの感情に寄り添い、映し出してあげる働きで、心の理解能力や、共感性、思いやりを形成します。先生は、この「映し出し」について、「言葉による映し出し」を挙げ、その時々に、子どもに起きていることを言語化して返してあげる(ミラーリング)ことが重要だとおっしゃいました。例えば、子どもが転んで泣いてしまったときに、「痛かったね!」「泣けちゃうね」と同調の言葉かけをすることです。こうした対応を自分が受けるうちに、やがて同じことを他者に対して出来るようになります。転んでしまった子に「いたいね~、だいじょうぶ」などと声をかけて、他者の心や体に起こっていることを理解して、言葉かけができるようになります。こうして心の理解能力や共感性が育ちます。つまり、心に関連した「言葉かけ」が多いほど、心の理解力は高くなるということです。

この「言葉による映し出し」の話は、まさに前日に行った「発達支援」の中の、子どもの心の状態、体の状態を、一つ一つていねいに言語化して返してあげることで、発達障害の子どもの苦手なコミュニケーション力を高めてあげることが出来るというところとつながる話です。受講された方は、ぜひ、ここの話と関連付けて理解してください。

こうして、主要な養育者との間で繰り返された関係性は、その後の個人特有の「対人関係テンプレート」となります。とのことでしたが、これは、まさに育児セラピストのテキストの中で伝えていることですので、ここでも大きく声を出してうなずいてしまいました。

逆に、「立て直し」や「映し出し」を充分に経験していない被虐待児などは、基本的信頼感も心の理解能力も得られず、ただ養育者による怒りと暴力の対人関係テンプレートを刷り込まれます。すると、基本的に他者は怒っているものとして、他者の怒りに対して過敏になり、心の理解も乏しいため、悪意のないところに悪意を読み取ってしまったりして、対人トラブルになったり、虐待の関係性の再演・再被害化を招いてしまったりします。

望ましい大人の態度は、Availability(利用可能性)が高いこと

最後にお話しいただいたのは、アタッチメントの基本原則としての「情緒的利用可能性(Emotional Availability)」です。これについて、「応答性」と訳す場合もあるが、ここではあえて「利用可能性」という原語に近い訳を当てたい、と先生はおっしゃいました。「応答性」の場合、大人の意思による応答、つまり、大人が何でもかんでも反応する「過干渉」や「先回り」を含んでしまうが、「利用可能性」の場合、子どもが利用できる存在となり、大人の一方的な干渉が含まれないニュアンスである、と説明してくれました。私は、この説明に大いに感心しましたし、こうした言葉の使い方一つにもこだわって、アタッチメントを丁寧に伝えて下さる遠藤先生の誠実さを見ました。

この「情緒的利用可能性」というのは、大人はいつも子どもの状態を気にかけて、しかし、どっしりと構え、子どもが求めてきた時に情緒的に利用可能な存在であればいい。そして、子どもの後ろを心配してついて回ったり、転ばぬ先の杖になろうとして先回りしたりするのは、利用可能性ではなく、過干渉なのだ。という概念です。

つまり、「情緒的利用可能性」には、子どものシグナルを受け取る「敏感性」が必要であり、しかしそこに「先回り」や「過干渉」を生んではいけないので、常に「侵害的でないこと」が要されます。

これを、次のようなマトリクス図を使って説明してくれました

遠藤先生

子どもの「シグナル」が発せられた時に、すぐさまそれを読み取り応答すれば「HIT」であり、敏感性がある利用可能性となります。次にその対面の「シグナル」がない時に、「あえて何もしない」という「侵害的でない」態度「CORRECT REJECTION」です。そして、シグナルが無いのに応答してしまう態度は「FALSE ALARM」で、過干渉、先回りとなります。逆に、その対面の信号を発しているのに、応答しない場合は「MISS」放棄・ネグレクトとなります。つまり「HIT」と「CORRECT REJECTION」の態度が情緒的利用可能性が高い態度であり、それは、「敏感性」と「侵害的でないこと」を常にセットで持っていなければならないということです。

この「敏感性」+「侵害的でないこと」に「構造化」の視点が入ると、養育(子育て)は、教育となります。構造化とは、おもちゃを配置したり、子どもたちの協調を促すグループ分けをしたりといった環境設定です。つまり、これは保育園や幼稚園の教育です。

そして、遠藤先生は、講演の最後をこのようなステキな言葉で締めくくってくれました。

「アタッチメントは、日常の働きかけの中に『最もすごいこと』が存在する」

今回は、時間の都合で、予定していただいていた内容をすべてお話いただくことは叶いませんでしたので、われわれ育児セラピストとして、特に興味深かった次の2つの項目

「”allopareting” の役割り 保育・幼児教育の可能性」

「”Care”と “Education”の表裏一体性」

については、ぜひ次の機会を設けて、再度ご講演いただきたいと思っています。いつになるかは未定ですが、お楽しみにしてください。

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