アタッチメント食育が生まれた真の背景

ホームページでもお伝えしておりますように、今年の全国大会のスキルアップ講座は、「アタッチメント食育」です。

今回の0期講座に限っては、カリキュラム制作にあたった3人の専門家が直接登壇します。作った本人から学ぶことが出来る機会であるとともに、その分野の専門家に意見を聞ける貴重な機会でもあります。3人が直接登壇する機会は、今後ないと思いますので、0期を受講される方は、この機会を積極的にご活用ください。

アタッチメント食育インストラクター養成講座 >>
http://www.naik.jp/info/class/12171800shokuiku.html

さて、今回は、そもそも、このテーマに取組むに至った経緯と、カリキュラム開発における内輪の話を、皆さんと共有させていただこうと思います。皆さんとは、こうした背景も共有した上で、0期講座に臨みたいのです。

 

もともと「食育」というテーマは、インストラクターのみなさま方の関心が高いテーマでしたので、いずれは取組むべきテーマとして暖めていました。そのような中で、東日本大震災と福島の原子力発電所の事故が起きました。それによって「食の安全」について、われわれの誰もが、改めて真剣に考えさせられました。

「与えられた安全」が、いかに当てにならないものなのか、そして、その影響を最も受けてしまうのは、子どもであることを、実感させられました。それは、「安全な食を得るための方法」ということだけではなく、「子どもの成長と向き合うための食」というもっと大きな枠組みでの実感なのではないでしょうか。だからこそ、今年のこの全国大会のタイミングで、「本当に伝えたい食育」を提案することには、大きな意味があると感じました。

「いずれは取組みたい」が「今、取組もう」に変わった瞬間でした。

では、われわれが「本当に伝えたい食育」とは、一体何なのか?「日本アタッチメント育児協会だからこそ伝えらる食育」とは、どんなものか?まずは、それについて考えました。

行き着いたのが、「親が本当に知りたい食育とは何なのか?」でした。そして。すべての親が共通して持つ思いは、「子どもの成長」だという結論に達しました。

かくして「子どもの成長のために親が知っておきたい食育」というコンセプトが決まりました。

食だから体の成長をテーマにするのではなく、あくまで「子どもの成長」をテーマしていく方針です。ですから、「体の成長」だけではなく、「心の成長」、そして「知能の発達」という三位一体の成長を前提に「食」を学ぶ。そういう食育です。そのためには、発達心理学の要素は欠かせません。

「食育 × 心理学(アタッチメント) =アタッチメント食育」です。

このアタッチメント食育のカリキュラムは、食育、発達心理学のほかに、歯学を入れています。それは、「食」と「歯」の関係性の深さと共に、子どもの成長におけるお母さんの興味の大きなひとつに「歯の成長」や「歯みがき」といったテーマがあるためです。「親が本当に知りたい」を叶えるために、通常の食育では扱われることの少ない「発達心理学」と「歯学」が入ったのです。

カリキュラム制作にあたっては、それぞれの分野の専門家によるチームを組みました。今回の0期講座の講師を務める3人です。食育は、柏原幸代先生、歯学は、高田朋太郎先生、そして、発達心理学は、わたし廣島大三です。

3人が、それぞれの分野の知見を集めて制作にあたったのですが、ここで非常におもしろいことが発見できました。まさに新しい価値が生まれた瞬間です。歯学をつきつめたら、結局は「食育」に行き着き、食育をつきつめたら、「アタッチメント」に行き着き、そして「アタッチメント」は、「人間成長」に行き着いたのです。3人が、別々にテキスト作りをして、それらを持ち寄った時に、このようなことがわかったのです。

つまり、アタッチメント食育は、食育、歯学、発達心理学における個々の専門的な要素を通して、最終的には「食を通した人間成長」というゴールに向かう講座であるということを発見できたのです。

来年2012年のタイミングで、この「アタッチメント食育」を伝えることには、大きな意味があると、私は考えています。震災により「家族の絆」が見直され、「当たり前の安全」が脅かされました。そうした思いは、被災地の方々だけではなく、日本国中に拡がっている思いだと思います。そして、それに対して「何をすれば良いのか」「どうすれば良いのか」といった具体策を見つけられないで、不安ばかりが大きくなっているのが現状だと思います。

そのような現状に対して、「アタッチメント食育」は、ひとつの方向を示すことになると思います。「食」という日常の当たり前の行動だからこそ、毎日の行動だからこそ、実践しやすいのです。だからこそ、大事なのです。それを体系的に学ぶことに、大きな意味があるのです。2012年の活動における「新たな種」として、いっしょに「アタッチメント食育」の種を植えましょう!

 

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小学生は、机にかじりつくな!

小学生のうちは、あまり勉強しないくらいが丁度いい。勉強は大切だが、遊びからは、もっと多くを学べる。小学生の脳は、そのように出来ている。机上の勉強から多くを学べるようになるのは、12歳以降。小学生で勉強に疲れてしまっては、中学という机上の勉強の旬の時期に、勉強嫌いになってしまう。

小学校のときは、勉強がよくできたのに、中学に入って、めっきり落ちこぼれてしまった、という例は、意外と多い。この背後には、以下のようなメカニズムがある。

小学校の勉強というのは、勉強したかしないかが成績を分ける。基本的には、「読み書きそろばん」である。これらは、反復演習と記憶力の賜物であるので、やらなければ、身につかない。だから、小学生にとって、勉強は大事だ。「読み書きそろばん」の基礎が出来ていなければ、その後の教育は、全く成り立たない。

しかし、勉強よりももっと大切なものがある。それが「遊び」である。このように言ってしまうと、安っぽく聞こえるかもしれないが、私は、この持論に、きちんと根拠を持っている。育児セラピスト1級の受講生に、最も持ち帰ってもらいたい概念でもある。

学童期の子どもの学習プロセスは、大人とは違う。論理性の面では未成熟なのだが、その反面大人よりも直感的で、創造的で、イマジネーションに溢れた学習プロセスを経て、物事を理解し、より高度な学びを得る。つまり、頭で考えるよりも、体で感じて理解する。子どもは、複雑な概念さえも、感覚的に体で理解することができる。

例えば、補助輪なしの自転車に乗る場合、止まっているときには、足で支えないと倒れてしまう。少し走り始めると、ヨロヨロするが、支えはいらない。スピードが乗ってくると、自転車は安定する。言葉にすると当たり前のことであるが、これを論理的に説明しようと思うと、「遠心力」や「慣性の法則」などといった難しい話になるのである。では、子どもが自転車に乗るとき、「重力」や「遠心力」、「慣性の法則」を知っているから、安心して、二輪の自転車を操縦しているわけではない。子どもは、感覚的に、体で覚えているのだ。だから、止まっているときは足で支え、動き出しは、左右にハンドルを切って調節して、やがて、スピードが乗ってくると、手放し運転さえできたりする。つまり、高度な論理に裏づけされた概念を、論理ではなく、体で理解している。そして、それを楽しんでいる。

「体で感じて理解し、学び、楽しむ=遊びから学ぶ」これこそが、学童期の子どもの「学習プロセス」です。もちろん、ベースに「読み書きそろばん」があってのことなのですが、ベースは、あくまで、ベースですので、必要十分を満たしていれば良いのです。より高度な概念を獲得したり、より複雑な理解を得たりするのは、「体を使った遊び」を通してのことですので、これに関しては、遊びすぎても、遊びすぎることはない。そうして、いっぱい遊んで、いっぱい学ぶことによって、応用力や問題解決力が身につく。

学童期に身につけた読み書きそろばんといった基礎学力に、応用力と問題解決力が加わることで、中学に入ってからの机上の勉強が生きてくるのです。

小学生のときに、遊びの時間を削って、勉強をしていた子どもは、記憶と反復に基づく基礎学力は、身についているが、「体で学ぶ」ことが不足しているため、応用力が身についていない。すると、より高度な学習内容に取り組む中学生になって、困難を覚えることになる。しかも、遊ぶ時期に遊んでいないので、遊びへの渇望と、勉強に対する疲れによって、勉強嫌い、遊び好きになる傾向がある。

われわれ大人が、教育について考えなければいけないのは、学童期の子どもに対して、「読み書きそろばん」と「遊び環境」を、どのように与えられるかであり、「子どもには子どもの学び方がある」ことを、いかに理解するかではないだろうか。

日本の子ども英語教育について

外国語教育は、いつ始めるとよいのか?「早いほうがいい?」「早すぎると悪影響!」・・・世界中の多くの研究者が、様々な論点を発表しています。私は、少なくともヨーロッパ言語を母語とする人の第二外国語習得と、日本語を母語とする日本人は、分けて考える必要があると思う。

つまり、英語以外のヨーロッパ言語を母語とする人が、外国語として英語を学ぶのと同じように、日本人が英語を学ぶことはない。それは、言語体系が似ている言語を学ぶ場合と、全く違う体系の言語を学ぶ違いだ。

だからこそ、「いつはじめるか」を議論する前に、「単一言語社会に生きる日本人のための英語習得法」という考え方が必要だと思う。その上で、もし早期に英語教育をはじめるなら、「子どもが学ぶ」ということと共に「日本語を母語として、英語を学ぶ」という二軸で考える必要があると思う。

なぜ、そんなことを考えるかというと、いよいよ2011年4月から、小学校での英語必修化がはじまるからである。まずは、5、6年生からとのことだが、英語教育の低年齢化が、さらに加速化することは必至。実際に、幼児英語教育に対する関心は、急激に高まっており、未就学児(幼稚園児、保育園児)の習い事として、スイミングの次に英会話が来ている。実際に、未就学児が一日に数時間、週1日~5日程度英語の環境で、保育・教育を受ける「プリスクール」の数は、2005年の114件から2009年の293件と約3倍、子ども英会話教室も、最近では、小学生ではなく、幼稚園児を対象とするところが、急激に増えている。

そもそも「言語」というものは、文化背景と密接に関わっており、それは、「アイデンティティー」に直結する。つまり、母国語とその言語が有する文化背景が、その人のアイデンティティーを形成するのである。これは、単一言語、単一民族である日本人にとっては、実感が薄い。つまり、言語習得プロセスの途中にいる幼児に、他の文化背景を持つ言語を学ばせる場合には、注意が必要だということである。さもないと、アイデンティティの確立において、支障をきたす可能性があるのである。

わかりやすいケースで言えば、乳幼児期や子ども時代を海外で過ごした日本人の子どもが、帰国子女として、帰国する。親は日本人なので、日本語は流暢だし、学校では英語なので、英語も流暢である。誰もがうらやむケースだが、当の本人は、大人になってから、自らのアイデンティティがどこにあるのか、わからなくなって悩むケースは多い。アメリカ人からは、日本人にしては「英語が上手ですね」と言われ、日本では、帰国子女にしては、「日本語も問題ないですね」といわれてしまう。つまり、母国語が存在しないのだ。マルチリンガルというと聞こえは良いが、どちらも外国語なのである。これは、単なる言語の問題にとどまらない。この先には、「自分は日本人なのか?それともアメリカ人なのか?」という民族アイデンティティの問題となるのである。それは、自我の確立の中枢を担う価値観に関わることなのである。

私の高校時代の友人にも、同じような状況の友人がいる。彼は、あるとき私に打ち明けた。「自分は、アメリカでも、日本でも、外国人扱いをされてきた。」彼の両親や兄弟は、アメリカ本土に暮らしている。祖父母は、名古屋である。両親も祖父母も、日本人なので、血としては日本人だ。彼は、帰国子女として、一流大学に進み、誰もがうらやむ一流企業に就職した優秀な男だ。しかし、彼は、そうしたキャリアを、あるときすべて捨てた。そんな彼が、安住の地として選んだ地は、日本でも、アメリカ本土でもなく、ハワイである。

話を元に戻そう。何が言いたいかというと、母国語を習得時期の子どもの外国語教育については、「子どもの発達」についての注意と、「母国語の言語背景と学ぼうとする外国語の言語背景」についての注意の両方が必要なのだということ。「子どもであって日本人、日本人であって子ども」ということである。

とりわけ、日本において、あるいは、英語以外の言語を母語とする国においては、多くの場合、外国語というのは、英語であろう。では、「日本人のための」という視点や「子どものための」という視点の英語教授法は、どれだけ存在するだろうか。そのように謳っているだけではなく、そのような目的を持って体系化された英語教授法である。その上、この二つの要素を併せて体系化したものとなると、皆無ではなかろうかと思う。

私が、(財)チャイルドTESL教育協会において、成し遂げたいのは、「日本語を母国語とする、子どもに特化した英語教授法」の確立である。